援護法、住民被害の実相をねじ曲げ 石原昌家氏が解説 沖縄戦記憶継承プロジェクト


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「沖縄戦体験をねじ曲げている」と援護法の問題点を指摘する石原昌家沖縄国際大学名誉教授=22日、那覇市泉崎の琉球新報社

 沖縄戦の記憶継承プロジェクトの第2回講座が22日、琉球新報社で開かれた。講座の座長を務める石原昌家沖縄国際大名誉教授が、戦後日本政府が沖縄の被害住民を「戦闘参加者」として扱った援護法の問題点などについて解説した。石原氏は同法によって住民被害の実相がねじ曲げられていると指摘し、沖縄戦の継承において、この点を抑えておく重要性を強調した。

 援護法は1952年に制定。53年には米統治下だった沖縄にも適用された。軍人軍属に加え、戦闘参加者として厚生労働省の認定を受ければ、遺族が年金支給を受けられるよう拡大された。

 認定を受けるため、日本軍の食糧強奪や壕の追い出しが「食糧供出」「壕の提供」と書き替えられた。石原氏は、日本軍に虐殺されたり、「集団自決」(強制集団死)を強いられたりした住民も戦闘参加者とされたと説明。「日本政府による沖縄戦体験のねつ造だ」と指摘した。

 また認定を受ければ靖国神社に合祀ごう/しされ「殉国死者」とたたえられた。石原氏は当時の沖縄の地元紙は「朗報」と大々的に報じたとも指摘。戦後も「皇国史観に絡め取られていた」と批判した。

 このほか沖縄戦に至る流れや背景も説明。日本が中国や東南アジアへの侵略を正当化し、31年の満州事変からの15年戦争の帰結点になったこと、米軍の本土上陸を遅らせる出血持久作戦だったことなどを説いた。沖縄で陣地構築に動員された住民は機密を知ったため、米軍に捕まることは絶対許されず、絶望的な状況に置かれたとした。

 記憶継承プロジェクトは全10回で、実行委には琉球新報社も創刊130年事業として参画している。(中村万里子)