【復帰51年 経済と雇用】観光業がけん引、生産性は弱く 県民所得は最下位<沖縄の今>


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 沖縄が1972年に米施政権下から日本に復帰して15日で51年を迎える。復帰時から続く政府の沖縄振興政策によって、社会インフラの整備は着実に進み、県内総生産(GDP)は飛躍的に向上した。一方、全国の在日米軍専用施設面積の約7割が集中するなど過重な基地負担といった課題は横たわり続けている。復帰から51年目の沖縄の現在をまとめる。

 復帰後の沖縄経済は、公共投資、観光収入、基地収入が柱の「3K経済」と言われた。特に観光は関連産業が多いため裾野が広く、近年では基幹産業として沖縄経済をけん引している。一方で1人当たり県民所得は依然として全国最下位にとどまり、豊かさを実感できていない県民も多い。

 沖縄戦で県民の4人に1人が犠牲となり、県土は焦土と化した。米国が、復興のための資材や生活用品を輸入するために政策的に為替レートを誘導したことで、第3次産業に偏り、製造業の比率が全国に比べて低いという構造が生じた。

 こうした産業構造上の課題は現在、復帰時よりもさらに顕著になっている。復帰した1972年度に県内総生産(生産側、名目)の10.9%を占めた製造業は2020年度は4.5%となり、構成比は低下している。物的な生産力が弱いため、利益が県外に還流しやすい「ザル経済」と指摘されてきた。

 1人当たり県民所得は1972年度が44万円で、国民所得の59.5%と6割に満たない水準だったが、2020年度は216万7千円、72.8%となった。2010年以降全国の7割程度で推移している。

 完全失業率(年平均)は72年の3.7%から、沖縄国際海洋博覧会後の不況などで上昇し、2001年には8.4%を記録した。近年では県外からの企業進出や観光産業の好調さに支えられて19年は2.7%と復帰後最低を記録した。

 島しょ県で労働力の母数が限られるという地理的な特性もある。現状では新型コロナ禍から回復しつつある観光や飲食店、需要が拡大している運輸、物流などを中心に人手不足が深刻化している。
 (沖田有吾)