78年前のきょう5月14日まで学徒たちが入っていた壕 学徒動員の実態、そして戦後も続いた苦しみとは 沖縄戦記憶継承プロジェクト


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一中の鉄血勤皇隊が78年前の5月14日まで入っていた壕の近くで、学徒動員について説明する大田光さん(中央)と、耳を傾ける受講生ら=13日、那覇市首里金城町

 「沖縄戦の記憶継承プロジェクト―戦争をしない/させないために」(同プロジェクト実行委員会主催)の第3回講座が13日、那覇市首里金城町の養秀同窓会館で開かれた。同会館内にある一中学徒隊資料展示室の解説員大田光さん(34)が「男子学徒の戦場動員」をテーマに講義し、亡くなった学徒や、戦後に負い目を抱え続けた元学徒らの体験と思いを大切にしていきたいと語った。約20人が参加した。

 沖縄戦では、県内21の師範学校や中等学校全てで男女共に学徒動員された。14歳以上17歳未満の動員について、法的な手続きを踏まえたとは言えず、なし崩し的に動員されたと指摘されている。

 一中では配属将校が、書記や3人の生徒と「召集令状」を作成。寮にいた生徒らに、自宅待機中の一中生に令状を配布させた。大田さんは与座章健さん(94)=当時4年=の証言として(与座さんが)令状を届けた下級生が戦死し、戦後も遺族の姿に心を痛め続けたと紹介。「伝える側にも伝えられる側にも苦しみを背負わせるすごく罪深いやり方だ」と指摘した。

 一中鉄血勤皇隊の学徒らは78年前の5月14日、首里の壕から実戦部隊に配置。第32軍の南部撤退で南部に向かい戦場をさまよった。山田義邦さん=当時4年、2017年他界、享年89歳=もけがをした友人に手りゅう弾を手渡したことを悔い、生涯摩文仁に通い続けた。大田さんはその山田さんの姿に「体験者の心の傷は癒えない」と感じ、自身が“伝え手”になることを決意したと語った。
 (中村万里子)