基地強化進む沖縄、遠い「平和の島」実現 手を携え「戦場にしない」決意 <復帰51年・県民大会>


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平和を願い「月桃」の歌を合唱する県民大会の参加者=14日、宜野湾市の沖縄コンベンションセンター劇場棟(ジャン松元撮影)

 15日の復帰51年を前に、14日に開かれた県民大会には、コロナ禍前に近い約1400人(主催者発表)が参加し、会場は熱気に包まれた。51年を経ても日本の米軍専用施設の約70%が集中し、県民が望んだ基地のない平和の島の実現は遠い。それどころか日米一体化は強まり、南西諸島が“軍事要塞(ようさい)化”の様相を呈する状況に、沖縄戦の体験者を中心に新たな戦争への懸念が高まる。県内外から大会に足を運んだ人々は、東アジアの人々と手を携え「沖縄を、日本を戦場にさせない」と誓った。

 昨年12月の安保関連3文書の閣議決定後初めての県民大会で、安保3文書に基づく南西諸島へのミサイル配備や敵基地攻撃能力保有に登壇者の発言が集中した。「フォーラム平和・人権・環境」共同代表の藤本泰成さんは「琉球弧の命の問題が私たちを除いて決定されている」と、沖縄の頭越しに進める政府の方針を批判した。

 新垣邦男衆院議員は「復帰51年たち、基地が減るどころか先島圏域にはミサイルが配置され、本島では格納庫が増えている。この現状はあまりにも異常だ」と訴えた。

 あいさつに耳を傾けていた、沖縄市平和ガイドネットワーク代表世話人の森根昇さん(82)は「沖縄の戦争への危機感を、県外の人に感じ取ってもらったのでは」と評価した。一方で玉城デニー知事は自衛隊強化に言及しなかったため「触れてほしかった」と残念がった。

 大会ではヘイトスピーチ反対団体の辛淑玉(しんすご)さんもあいさつした。那覇市在住の本永春樹さん(57)と貴子さん(55)は辛さんの「沖縄に支えてもらった」という言葉が「心に残った。これからも助け合っていきたい」と語った。

 県外を中心に若い人の姿も多く、広島県から初めて参加した野田幸希さん(28)と内山友太さん(28)は「歩いて初めて米軍基地の大きさを実感した。沖縄ヘイトを巡る状況も知った」と話した。

 復帰行進への、県民の関心の薄さを懸念する声もある。「昔は沿道で大勢の人が手を振ってくれたが、今は少なくなっている」。約40年前から復帰行進に参加する平良昌史さん(60)=那覇市=は、そう話す。労働組合など組織に入っていない若者の参加が少ないことについて、平良さんは従来のスタイルを変えることも検討し、交流サイト(SNS)などを利用して個人のつながりをどう横に広げるか、模索するべきだと指摘した。
 (中村万里子、西田悠)