薬物飲酒依存で48回入退院の男性、立ち直ったきっかけは 沖国大で講演 沖縄


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生かされている「愛」の存在に気づいたことで依存症から立ち直ることができたことなどを伝える渡邊洋次郎さん(右)=17日、宜野湾市の沖縄国際大学

 薬物・アルコール依存症に苦しみ精神科病院に48回の入退院を繰り返し、刑務所で服役中に「生かされている」ことに気づいてから、依存症から立ち直った大阪府の渡邊洋次郎さん(47)が17日、宜野湾市の沖縄国際大学で講演した。米国の複数の州の自助グループを定期的に視察や交流目的で訪れるという渡邊さんは「依存症への無知が偏見や差別を生み、本人や周囲の状況をさらに悪化させる。立ち直るために支え合い、合理的配慮のできる社会であってほしい」と訴えた。

 中野正剛教授(法律学科)が基礎演習の講義にゲストスピーカーとして招き、学生約30人が聴講した。

 渡邊さんは両親と姉、妹の5人家族だった。父親は毎日晩酌し、休日は昼から酒を飲み、子ども時代は「父親が機嫌悪くならないよう、ご機嫌取りをしていた」という。勉強は苦手で生きづらさを抱えていた。友人関係を保つために虫を食べるなどわざとからかわれたり、驚かせたりすることをしていた。「自分の居場所を見つけるためだったと思う」

 10代に遊び半分でシンナーを吸引した。周囲から「どんな気分になるのか」と尋ねられることで認められたように感じ、のめり込んだ。酒が原因で、父親が亡くなった日もシンナーを吸い、依存症となった。判断能力は落ち、窃盗や住居侵入、傷害などの事件を起こした。30歳から刑務所に3年間服役した。「自分のことが嫌で、とことん自分を痛めつけ、悪になろうと思った」と当時の心境を説明した。

 独房にいるとき立ち直ったきっかけがあった。拳ほどの大きさの「心臓」が目の前に現れた。見えるはずがない心臓を見て「何かに見せられている気がした」。自傷を繰り返し死にたいと思っていたが、「『生かされている』ことに気づいた。『愛』を感じた」という。自分の状況を周囲の責任にするのを改め、生活を立て直そうと決めた。

 通所していたアルコール・薬物・ギャンブル依存症からの回復を支援する「リカバリハウスいちご」(大阪府大阪市)で生活支援員として働き始めた。40代に介護福祉士の資格を取得、通信制高校も卒業した。刑務所の出所から14年、薬物やアルコールを断っている。

 渡邊さんは「祭りや親類の集まりで酒が振る舞われるなど、日本は昔から酒に関して寛容だ。楽しく飲めるだけならいいが、少しだけだと思っても制御できずに飲み続けてしまうのが依存症だ」と依存症への危険性が日常に潜んでいると指摘した。依存症は病気であり、本人の意思ではやめたくてもやめられないことにも触れた上で、「本人の状態を観察して支援したり、自助グループなどに参加しやすい雰囲気をつくったりすなど合意的配慮があれば一人でも依存症に苦しむ人が少なくなるのでは」と話した。
 (松堂秀樹)