自己決定権の発展 阿部藹 <託されたバトン 再考・沖縄の自己決定権>4


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
植民地独立付与宣言が採択された1960年の国連総会 (Copyright(C)UNphoto)

 前回は、第一次世界大戦中に生まれた政治的原則としての自己決定(民族自決)という概念が、第二次世界大戦後の脱植民地の議論の中で「植民地の人民が独立を得る権利」として発展し、1960年の国連総会で採択された「植民地独立付与宣言」によって成文化されたことを述べた。

 しかし、植民地独立のプロセスが一段落し、脱植民地の文脈ではない分離独立の事例の増加や、それまで自己決定権の議論から排除されていた先住民族の人びとによる権利回復運動などにより、自己決定権に関する理解は「植民地独立」の文脈からより広範なものへと変化していく。1966年に採択された国際人権規約(社会権規約・自由権規約)や2007年の国連先住民族の権利宣言などに基づき、特定の集団(人民)が一国の中にとどまりつつ、差別されることなく政治参加や自治を実現する「内的自己決定」を認める議論が積み重なっている。

 国際法の中で「沖縄の人びとの自己決定権」をどのように主張できるのか考えるためには、琉球処分以後、長く植民地に類する支配や人びとが受けてきた抑圧、51年前の沖縄返還といった歴史をこの外的・内的自己決定権の発展に照らし合わせる必要がある。特に戦後の沖縄の国際法上の地位は、国際的な脱植民地化のプロセスと呼応するように変遷しており、国際法における自己決定権の確立とその変容が、沖縄の自己決定権の議論にも当然影響を与えるはずだからだ。

 今年3月に発行された「琉球」3月号(琉球館)において、「命どぅ宝! 琉球の自己決定権の会」共同代表・与那嶺義雄氏が自己決定権と歴史的背景に関する論考を寄稿していた。そこでは、独立国であった歴史や琉球併合という日本との歴史的関係に立てば、沖縄(琉球)の人々は国際人権規約の共通1条1項の「すべての人民は、自決の権利を有する。この権利に基づき、すべての人民は、その政治的地位を自由に決定し並びにその経済的、社会的及び文化的発展を自由に追求する」という条文にある「人民」であると考えられ、よって「琉球・沖縄人は国際人権法上の先住民族であり人民だ」との認識が示されていた。

 この見解は、筆者が去年発表した論文の中でたどり着いた結論と大きく重なり、全面的に同意するものである。その上で、戦後沖縄の歴史と国際人権法の関係の中から導き出したもう一つの論を提起したい。それは、米国による軍事統治と“返還”の過程を国連の諸文書に照らして考えれば、少なくとも1972年に“返還”されるまで沖縄(琉球)は「非自治地域」に類する地域として外的な自己決定権、つまり独立する権利としての自己決定権をも有していたと考えられるのではないか、そして、そのような権利を有していた人民であるという解釈が、人民としての内的な自己決定権の主張をさらに補強するものである、という議論である。

 「非自治地域」については、ごく簡単に説明を加えたい。第二次世界大戦後に作られた国連では、敗戦国が有していた植民地などを「国連信託統治制度」の下に置くことを定めた。一方で、信託統治地域にも独立国にもなっていない地域を国連憲章11章の下で「非自治地域」とし、施政国が当該地域の発展や福祉の増進に責任を負うとした。その後1960年の「植民地独立付与宣言」によって、「非自治地域」にも独立のための自己決定権があるとされた。非自治地域として認められているのは国連の脱植民地特別委員会によってリストに掲載された地域であり、その意味では沖縄は正式に「非自治地域」として国連に認定されたことはない。しかしそれらの地域と多くの類似点を持つ沖縄は、国連憲章や総会決議の文言に当てはめて考えれば、いってみれば「準非自治地域」とでも表すべき地域であったと解釈できるというのが筆者の考えである。

 その解釈の鍵となるのが、サンフランシスコ平和条約と、植民地独立付与宣言採択の翌日に採決された「国連総会決議1541」である。同決議は非自治地域の施政国が国連にその地域の状況を報告する義務を記した文書で、非自治地域の定義が書かれている。

 1952年、サンフランシスコ平和条約の発効によって日本の主権は回復したが、琉球・沖縄を含む南西諸島については、アメリカが国連の信託統治下に置くまで行政、立法及び司法上の権力、つまり排他的施政権(統治権)を有することになった。一方で、米国の全権大使であったジョン・F・ダレスはこの条約を締結した会議での演説で、日本が沖縄に関する「潜在主権」を有することを確認した。これによって琉球・沖縄は、日本が潜在主権を有するも、施政権(統治権)は米国が有するという二重構造の下に置かれることとなる。

 沖縄の人々が植民地独立付与宣言に基づく自己決定権を主張するにあたり、この「潜在主権」の存在が議論を複雑にしていた。例えば日本政府は1961年、国会答弁資料(試案)で潜在主権を有していることを盾に「沖縄は他日わが国に復帰することの期待される地域であって、植民地独立宣言にいう『独立を達成しない地域』に該当するものではない」との見解を示している。

 しかし、上述した国連総会決議1541の定義を詳細に見ていくと、米国統治下にあった沖縄は「米国を宗主国とする非自治地域」に該当していたと考えられる。次回はその根拠について議論する。
 (琉球大学客員研究員)
 (第4金曜掲載)