【深掘り】石垣への米掃海艦寄港 市「容認」、県「自粛」求める方針 2009年との違いは


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2009年の石垣港への接岸後、港の外に出るため抗議市民の座り込みを強行突破しようとするケビン・メア在沖国米総領事(当時)や掃海艦の艦長ら=2009年4月3日、石垣港

 米海軍の掃海艦「チーフ」が11~13日、石垣市の石垣港への入港を計画している。米軍や自衛隊は民間の港や空港を使いやすい環境をつくる方針を掲げており、今回の寄港は「実績づくり」(防衛省関係者)とみられる。石垣市は容認し、県も反対の姿勢を示すまでに時間を要した。過去に米軍掃海艦が入港した2009年は、市や県、県内政党も保革を越えて反対の声を上げており、対照的だ。

 現在、石垣港には自衛隊の地対空誘導弾パトリオット(PAC3)も展開されている。11日まで展開が続けば、PAC3と掃海艦が同時に石垣港を使用することになる。

 ■強い反発

 09年に米海軍掃海艦が石垣港に初入港した際、市民が寄港前日から抗議集会を開くなどして強い反発があった。入港後も市民らが「石垣島に足を踏み入れさせない」と抵抗。当時の大浜長照石垣市長は民間船や市民の安全を守る観点から反対し、集会にも参加した。

 米軍は07年に与那国町の祖納港に、10年には宮古島市の平良港に掃海艦を寄港させた。当時は保守系首長も寄港に反対し、仲井真弘多知事(当時)も自粛を求めた。県内政党も保革を問わず、自粛を求める立場で足並みをそろえていた。

 08年から12年まで、一時期を除いて沖縄防衛局長を務めた真部朗氏は理由の一つに安全保障環境の変化を挙げる。「09年と違い、現在は戦後最も厳しい安全保障環境にある。特に石垣市は地理的に強く感じているのではないか」と分析した。

 ■そがれる勢い

 「米軍による民間港湾の使用は、緊急時以外は自粛するべきだとこれまでも伝えてきた」

 8日午前の定例会見で玉城デニー知事は、過去の事例を引き合いに、寄港を問題視した。ただ、掃海艦の入港計画が公になってから約1週間。09年当時は、計画が明らかになった翌日に仲井真知事が自粛を求める考えを表明していた。

 県幹部は「地元の市が認めているのに飛び越えて県が反対するのは、ハードルが高い」と語った。今回も寄港自粛を求める予定だが、方針を打ち出すまでに時間を要した背景を語った。

 中山義隆石垣市長は容認する理由として、米軍が寄港理由を「休養」と説明していることも挙げている。ただ、米側は過去にも米艦艇の寄港を「友好、親善、乗組員の休養」と説明したが、後に有事を想定した寄港だったことが判明している。強行されれば、民間港利用の常態化も懸念される。
 (明真南斗、知念征尚、照屋大哲)