11日に死去した青木幹雄元参院議員会長は、1999年の自自公連立政権発足に伴う小渕(恵三)改造内閣で、官房長官を兼ねて沖縄開発庁長官(現沖縄担当相)に就任した。青木氏の前任は沖縄政策の全般に深く関与した故野中広務氏だった。当時県知事だった稲嶺恵一氏は「青木さんは、野中さんが強く持っていた『沖縄への思い』を理解し、引き継いでくれた。また一人、沖縄への思いを持つ方が世を去り、寂しい思いだ」と語った。
その後、小渕氏は急逝し、後任の首相は小渕氏に比べ沖縄との関わりが薄い森喜朗氏が着任。森内閣で官房長官を続投した青木氏について、稲嶺氏は「青木さんが中心となって非常によく意思疎通を図ってくれたことが印象に残っている」と振り返った。
自民党沖縄県連の島袋大幹事長は「沖縄の振興に大変、尽力いただいた。『参院のドン』といわれるほど力のある方で、沖縄びいきというか、沖縄を愛していただいた方がまた一人、亡くなられた」と肩を落とした。
(梅田正覚、佐野真慈)