池原盛憲さん(88)=那覇市=は日本軍が駐屯し、集落の様子が変わっていく読谷村楚辺で、「軍夫」として働かされる朝鮮人を見ました。
「日本軍が『軍夫』として朝鮮人を連れてきたようです。日本兵に殴られた朝鮮人の、『アイゴー、アイゴー』という泣き声を聞きました」
1944年10月10日の「10・10空襲」を鮮明に覚えています。
《母はいつもの通り早起きしてシンメーナービに家族や豚たちのハンメー(食事)となるイモを炊き終えた。おしっこをするために外に出て空を見上げると、雲は天高くまさしく日本晴れ。学校へ行く前に朝食を取ろうと室内に戻ると、パタパタ…シュルシュル…という聞き慣れない音を残して飛行機は慶良間方面に飛んで行くようだった。》
最初は日本軍の演習だと思っていましたが、飛行機は旋回し、北飛行場を攻撃すると、楚辺の集落は大騒ぎになります。
《「空襲だ」の叫びと同時に、村の高台に据え付けた高射砲はポンポンと鳴り出した。本物の空襲と気づき、屋敷内の防空壕に避難した。》
「読谷村史」によると10・10空襲で楚辺の民家2軒が焼け、住民2人が飛行場で亡くなりました。「那覇方面は黒い煙が立ち込めていました」と池原さんは語ります。