池原盛憲さん(88)=那覇市=が疎開先の国頭村奥間で過ごした避難小屋は川沿いに並んでいました。木や竹で建てたものです。
《これまで住んでいた瓦葺き板敷きの家と比べて、何と粗末な家かと涙が出そうだった。》
それでも山奥なので戦闘機の音は聞こえず「これがイクサ世かと疑うほどの別世界だった」といいます。ところが、この山に米兵がやってきます。
《川下から「アメリカーが来たよー」と叫ぶ声がした。元気な人たちはクモの子を散らすように山奥に逃げ込んだ。自分たち家族は逃げなかった。祖父は老人だし、姉や妹は鍋のすすを顔に塗って、部屋の片隅でうずくまっていた。次兄は食料を求めて山を下りていた。自分と母は小屋の前に座っていた。そこに6尺くらいの米兵の大男が銃を担いで立った。》
母のミツさんは体を震わせてぶつぶつと声を出していました。池原さんはミツさんの手を握り、米兵の顔を見ました。青い目をしていました。
《気を静めて大男を見上げた。兵隊の目を見て「ヒージャーミー(ヤギの目)だ」と母に告げた。兵隊は腰を下ろし、右手を差し伸べて「セイケン、セイケン」と言っている。》
池原さんは「米兵はなぜ自分の名前(盛憲(せいけん)さん)を知っているのか」と驚きました。後になって、米兵が「シェイクハンド」(握手)を求めていたと知ります。それを名前(セイケン)と聞き違えたのです。