23日朝、糸満市米須の魂魄の塔には、子連れを含む多くの戦没者遺族が訪れ、祈りをささげた。
午前7時過ぎ、南城市から訪れた川平勇さん(83)は、おもむろに地面にひざを突き、塔に向かって手を合わせた。沖縄戦当時、5歳の川平さんを背負いながら戦火を逃げ回った母カマドさんは、糸満市真壁付近で前方から艦砲射撃を受け、息子をかばうようにして亡くなった。
両親の顔すら覚えていない。ただ、「あんまーよ」と泣き叫ぶ中、母の身体に結わえられた帯から切り離され、米軍のトラックに乗せられた記憶だけが残っている。川平さんは「(日本軍は)勇ましく戦ったという『美しい』言葉が好きじゃない」と反戦への強い思いを口にし、その足で別の親族の墓地に向かった。
(西田悠)