NPO法人石川・宮森630会(久高政治会長)は22日、うるま市の宮森小学校の平和講演会で1959年に起きたジェット機墜落事故について講演した。後遺症の苦しみや事故が再び起こるかもしれないという心配から「いまだ終わっていない。自分ごととして考えてほしい」と伝え、生徒へと記憶のバトンをつなぐ。
59年6月30日、米軍ジェット機が現在のうるま市石川松島区に墜落した。衝撃で跳ね上がった機体が宮森小学校に激突し、12人の児童が亡くなった。体験者の久高会長と伊波洋正事務局長の話を宮森小の生徒約450人が聞いた。
伊波事務局長は事故当時1年生だった。「やけどで皮膚の色が変わり動かない人を荷車に乗せ、真っ青な顔で走っていく女性の姿を見た」と体験を語った。「(死者や負傷者の)数字だけでなく『どういう子がどういう風に亡くなったのか』を伝えたい」との思いから、「体が焼けて真っ黒になった女の子は亡くなる直前まで兄の心配をしていた」と一人一人を丁寧に思い起こして伝えた。
後遺症や遺族の苦しみ、後を絶たない米軍機の事故に触れ「64年前に終わった話ではない」と語る。生徒に向けて「自分ごととして考えること、想像することが大事だ」と伝えた。久高会長は「話したことは生徒の印象に残る。成長の度合いに合わせて理解を深めてほしい」と今後も伝え続ける。
講演を聞いた6年生の児童は事故当時に自分やきょうだいがいたら、と想像し「とてもつらい」と話した。現在でも「絶対に(事故が)起こらないわけではない。また来たら怖い」と自分に引きつけて考え、「他校の生徒にも伝えたい」と記憶をつなぐことへの意欲を見せた。
(金盛文香)