【豊見城】豊見城市の沖縄空手会館で「ロビー展―2022年度沖縄空手資料収集・調査研究の成果展―」(県空手振興課主催)が行われている。同館は2017年3月開館以降、国内外の新聞などから沖縄空手に関する記載を収集し、関連資料の充実化を図っている。ロビー展は22年度に発見された新資料などから話題性の高い5点をパネルにまとめて紹介している。県内外、海外の古い新聞から発見された貴重な資料ばかりだ。観覧は無料、23年度末まで展示されている。 (岩崎みどり)
沖縄空手会館は17年度から21年度までの5年間で沖縄空手に関する新聞記事2716点を収集した。22年度は、戦前に発行されていた県内紙「沖縄毎日新聞」と八重山の「海南時報」、米国ハワイやペルー、ブラジルの邦字新聞「布哇報知」「秘露報知」「伯剌西爾時報」などを対象に調査、資料179件201点を収集している。
この中から、1905年以降に目立ってきた県内学校での空手教育に関する記事や、1910年2月に中城湾に立ち寄った帝国海軍の乗組員が演武や巻きわら突きを見学したとの記事など5点を展示している。
県の委託を受けて調査に当たる沖縄伝統空手道振興会の研究員、仲村顕さんは「資料室の常設展は周知の情報を中心に整理して展示している。それに対しロビー展は沖縄空手に関する最新の研究を紹介している。ぜひ最先端の研究に触れてほしい」と話す。
これまで収集された資料や空手に関する書籍などは資料閲覧室で閲覧することができる。沖縄空手会館の展示施設は午前9時~午後6時(最終入場午後5時半)、水曜休館。
船越義珍の足跡で新発見
沖縄空手の本土普及に貢献した空手家、船越(富名腰)義珍(1868年―1957年)の足跡に関する新しい発見を展示している。本土での空手普及は義珍が東京で演武披露した1922年から本格的に始まる。そして義珍による県外での初演武は1918年に京都の武徳殿で行われたと思われていた。それを8年もさかのぼる1910年に義珍が県外で「唐手」を披露したという記事が見つかった。
記事は10年9月20日付「沖縄毎日新聞」に掲載された「観光遊記(七)」だ。この記事は、当時の沖縄県内の3新聞社(「琉球新報」「沖縄毎日新聞」「沖縄新聞」)が合同で企画した近畿瀬戸内海観光団一行の動向を紹介している。
記事によると、義珍は9月1日に大阪の新町婦徳会で開かれた歓迎会で「唐手」の演武をした。「城間恒有、富名腰義珍の両氏による上り口説、富名腰氏による唐手等ありて興を添え(た)」と記されている。
仲村さんは「義珍により沖縄空手が県外に広まったのは1922年。それより12年も前に演武していた。今後、この記事からいろいろな研究が広がっていくだろう」と話す。
3沖縄人、型を披露 ハワイ邦字紙1910年に紹介
ハワイの邦字新聞「布哇殖民新聞」が1910年7月11日にハワイ島で最初の日本人学校「ホノム義塾」で開かれた武術大会を紹介している。記事は「沖縄流の拳闘」「沖縄拳闘」「沖縄流の棒使」が披露されたと記述する。記事から沖縄人3人が型の演武を披露したと読み解ける。
同7月13日に掲載された、この演武を見学した記者の感想が展示されていて、内容が興味深い。同新聞の1面のコーナー「落葉狼藉(ろうぜき)」に記されている。
記事は空手について「沖縄流の拳闘試合」と紹介し、「恐らくハワイで前代未聞だ」と記す。型が披露されたようで「競技相手がおらず単独で形式のみをしたことから、その真相を十分に知れることができず遺憾だった」と書いている。その上で「世界的競技の一つとなることを希望してやまない。確かに成功することを疑わない」と記している。100年以上前に、空手を初めて見た記者が、現在の空手の広がりを的確に言い当てていることが面白い。