陸上自衛隊が南西諸島の有事に備え、陣地構築などを視野に、沖縄県内に広く分布する琉球石灰岩の掘削方法の検証を進めていることが分かった。78年前の沖縄戦当時も、硬い地層である首里城地下に司令部壕(ごう)が構築された。現在の自衛隊の動きが示すものとは何か。識者の見解を聞いた。
沖縄戦で第32軍は1944年の10・10空襲で米軍の破壊力を知り、空襲当時、現在の南風原町津嘉山にあったクチャ(島尻層群泥岩)に構築した司令部壕では持たないと判断し、クチャと比べ、硬度のある隆起サンゴ礁(琉球石灰岩)のある首里に司令部を構築した。
第32軍指揮下の各部隊も基本的には隆起サンゴ礁を掘削して地下陣地を構築した。第32軍は地主の許可を得ないで勝手に陣地を構築し、その資材も「現地自活」といって民家の石垣やグスクの石垣を調達し、さらにはリュウキュウマツなども補強のために伐採して使った。
自衛隊も目の前の有事、戦闘になった場合に戦場でどう有利に戦うかという想定で動いているのだろう。石垣や与那国、那覇の陸自駐屯地でも、指揮機能を担う作戦室や司令部の地下化を検討しているという報道があるが、まるで沖縄戦と同じだ。
他国からのミサイルなどの攻撃を想定し、琉球石灰岩のような硬い地層での陣地構築を検討しているのだろう。歴史は繰り返すという思いがある。沖縄戦の教訓は「軍隊は住民を守らない」だが、自衛隊は過去の歴史から私たちとは違うことを「学んでいる」のだろう。
(沖縄近現代史)