従軍看護婦を目指す 山田春子さん(1) 捕らわれた日<読者と刻む沖縄戦>


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
山田春子さん

 中城村泊に住む山田春子さん(94)から沖縄戦体験記をいただきました。山田さんは那覇で看護婦になるための勉強をしていた頃に沖縄戦となり、現在の糸満市で米軍に捕らわれます。敗戦後は中部の病院でマラリア患者の看護に当たります。

     ◇

 山田さんは1929年2月、中城村泊で生まれました。父は大工をしていた安里眞勢さん、母はマツさん。当時の家族は祖母、両親、姉、弟、妹たちの9人家族でした。山田さんは中城尋常高等小学校(後に中城国民学校、現中城小学校)で学びました。

 中城国民学校の高等科を卒業した山田さんは那覇にあった沖縄県医師会付属看護婦養成所で学びます。「従軍看護婦になりたい」と願っていました。しかし、勉強どころではありませんでした。日本軍の陣地構築で「毎日、あちこちで壕掘りをしていました」といいます。

 《社会全体が戦争体制であったので、毎日が日本軍の指揮の下、陣地構築に駆り出されました。学友と共に家族のことを心配しながら日々を過ごしました。》

 中城村に日本軍の駐屯が始まるのは44年8月です。中城国民学校や津覇国民学校(現津覇小学校)が日本軍の宿舎になります。45年になると戦況は一層悪化します。山田さんは母マツさんの要望で中城に戻りました。

 《戦争を身近に感じ、家族を案じる母は、家に戻るように言った。家族のことを気にしながら離れて暮らすよりはと思い、決心しました。》

 家に戻ったのは45年3月初旬のことです。