摩文仁で父と祖母を失う 山田春子さん(4) 捕らわれた日<読者と刻む沖縄戦>


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今年の「慰霊の日」の摩文仁海岸

 中城村の壕を出て西原、首里、南風原と逃避行を続けた山田春子さん(94)=中城村=の家族は具志頭村(現八重瀬町)安里などを経て摩文仁村(現糸満市)米須、摩文仁に至ります。岩陰に潜んでいたところ、父の安里眞勢さんを失います。1945年6月18日ごろのことです。

 《近くで爆弾が炸裂(さくれつ)し、その破片が父の腹部に当たりました。出血多量で2、3時間後、苦痛の中で家族や子どもたちの行く末のことを案じながら、家族の見守る中、息を引き取った。悲惨な父の変わり果てた哀れな姿に家族は泣き崩れ、涙、涙で忌まわしい戦争の恐ろしさを恨みました。》

 この時の砲撃で祖母も命を落とします。家族は悲しみに浸る余裕もなく逃げ続け、摩文仁の南端に追い詰められました。

 《あの沖縄の南端、美しい緑の摩文仁方面一帯は焼け野原となり、多くの死体が散乱し、無残な情景でした。》

 「摩文仁では海の近くにいて、船が見えました。あちこち死体ばかり。本当に言い表せないくらいだ」と山田さんは語ります。父の死から数日後、山田さん家族は米兵に捕らわれます。

 《とうとう逃げ場を失い、恐怖におびえながらアメリカ兵に捕らわれた。父、祖母を失い、一家全滅を覚悟しましたが、残された家族は九死に一生を得て助かり、沖縄戦の終結を迎えることになった。》