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<かっちゃんを語り尽くす(中)>破天荒なステージの理由、横顔、残ったままの疑問符 関係5氏座談会


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 沖縄ロックの「レジェンド」と語り継がれた「ヒゲのかっちゃん」こと川満勝弘さんが4月に死去した。川満さんの功績や生涯を振り返る座談会「かっちゃんを語り尽くす会」の(中)をお届けする。

  (上)はコチラ。

ピースフルラブ・ロックフェスティバルのステージでサメや魚をくわえて登場し、客席を沸かせる川満さん(DVD『沖縄ロックレジェンド・カッチャン』よりカット。同フェス実行委員会提供)

―精神状態が大変な米兵が相手だから。振る舞いで自己防衛してたのか。あるいは彼らのためにやっていたのか。

宮永英一 両方だね。でも彼らは、ベトナム戦争で大変な思いもしたけど、まさか沖縄に来て、目の前でこんなもの見るなんて想像つかないさ。想像つかないことをするのがかっちゃんなわけよ。

 ベトナムで負け戦に向かっていた時期には、僕らのライブハウスに来る米兵も1人減り、2人減りと、戦死して仲間がどんどん減っていくわけさ。最後は僕らに助けを求めてくる。「Please play for me」となったときの彼らの表情はね。

 最初はこいつらは差別意識の塊と思っていた。沖縄の人間を人間と見ていないし、こいつらと闘っていた。ところがよく考えてみたら、本国で好き勝手やっていたのに無理やり徴兵されて、しかも死に追いやられていて。その救いを俺たちに求めていた時に「ああ、こいつらの方が本当にかわいそうだったんだなあ」と思うとね。それは後からようやく分かったこと。

徳山義広さん

―かっちゃんは出演を続けたピースフルラブ・ロックフェスティバルでは、また別の意味でめちゃくちゃなパフォーマンスで観客を盛り上げた。

徳山義広 過去のいろいろな面白いエピソードがありすぎて。まずかっちゃんは存在そのものが大きい。出るだけで盛り上がる。

「今年は何をしでかすのか」と観客が期待していた。思い付きでめちゃくちゃやっているようだけども、実はすごい繊細だし、細かいところまで計算されていた。馬をステージに登場させようとして止められたり、ステージ運営や舞台監督泣かせではあったけども、彼だったら許せるなぁというのがあった。

 ある年にはワイヤを使ってステージに降りてくる演出だったが、角度が悪くて途中で止まってしまって、みんなで下ろした。でもこれもまたなぜか観客を盛り上げた。トラブルさえも演出に変えてしまう不思議な才能がある。その他もその時代、時代を反映したいろいろなパフォーマンスがあった。バックバンドにも恵まれていた。

宮島真一さん

―晩年のかっちゃんはずいぶん丸くなった印象だ。仕事などで彼と付き合って、どんな横顔を見た。
宮島真一 僕の10代は1980年代だし、20代は90年代で、先輩たちがめちゃくちゃしていたベトナム戦争時代は過ぎているけども、やっぱりライブハウスは怖くていけなかった。かっちゃんも怖いイメージがあった。

 時が流れて、僕は映画の仕事をしていて、俳優の仕事をしていた彼と一緒になった。その時にはずいぶん丸くなっていて。

 コンビニとか商業施設に一緒に買い物行くと、みんなが彼に声をかけるけど、彼はどこでもちゃんとリアクションするんだよね。「俺が琉神マブヤーだ(実際は森の大主役で出演)」と言ったり。コザ小学校の子どもたちに「かっちゃーん」とか道端で言わて、「おおー!」と返しているし。

 昔、彼が荒れた米兵にもたじろがなかった逸話を聞くけども、かっちゃんの人間関係はシンプルに上下や人種などの関係がなく地平線で、そういう意味で野蛮人というよりも「原始人」なんじゃないかと思う。

 2016年の「ピースフル」の前日にいきなり「宮島さん、あした出て」って言われて、かっちゃんの影武者として、いつものマントヒヒのお面をかぶらされてステージに出た。本物だと思った観客が「わー」と盛り上がっていて。お面の目からそれが見えるんですね。「かっちゃんってこんな世界で生きているんだ」って。

 後にBEGINとかっちゃんがアルバムを作ったが、子どもたちと一緒にビーチででジャケット撮影した。彼は見た目が怖いからおもちゃをいっぱい用意してきて。最後は子どもたちがかっちゃんの膝の上で和気あいあいと座っていた。

 彼の振るまいは時代で大きく変わっているけど、人を興奮させたい、喜ばせたい、そういうパフォーマンスを常に考えていたと思う。

宮永 俺たちの時代からすると、そんなかっちゃん考えられない。

2012年のピースフルのかっちゃんのステージ

―そのギャップが面白いが。人柄に多面性があって、どれが本当の彼なのか。

宮永 違うんだよ。多面性ではなくて。現場で修行した彼の心がどんどん変化してきたわけ。

喜屋武幸雄 かっちゃんが昔、俺に「ステージで死のうな。それで本望だよな」と言ったわけよ。その後にけんかもしながら、ついたり離れたりやってきたけど。最後になんか優しく、まろやかになっちゃって。「冗談じゃないよ、しなさりんどー、牙を持てよ」と。それがロッカー仲間としての僕の本音。

 でももう一つは、幼なじみの友人として。彼のパートナーが彼の最期をじっと見守っていたでしょ。生い立ちでいろいろあったけども、その存在がかっちゃんを救ってくれたかもしれないね。子どものころに傷付いた、ずっと秘めていた孤独が救われたのかなと。

30年経営したライブハウス「ジャックナスティー」でのラストライブで歌うかっちゃん=2012年、沖縄市のジャックナスティー

 若いころの彼は、そのエネルギーをステージで爆発させていた。パートナーの彼女に感謝はしている。音楽仲間としてはさみしいけど、ガキのころから一緒だからね。ガキの時の思い出ってずっと残るでしょ。あの飯の食えない惨めな時代さ。

 かっちゃんは多重人格なのかなと時々思ったりするけど。「お前生き返ってこい」って言いたいわけさ。本当のことをもう1回話しようと。

 疑問符が残りすぎて俺の中でも整理付いていないわけよ。「あのガキのころのお前は」「東京でのお前は」「ウィスパーズの時のお前は」「コンディショングリーンのときのお前は」「かっちゃんバンドのお前は」って。

 もうちょっと本音の話をしたかったけども、彼は一生自分の本音を隠したまま死んだと思う。

<かっちゃんを語り尽くす(下)>はコチラ

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座談会の登壇者

・県ロック協会事務局長の喜屋武幸雄さん

・県ロック協会元会長で紫ドラムの宮永英一さん(愛称・チビ)

・ピースフルラブ・ロックフェスティバル総合プロデューサで元ミュージックタウン音市場館長の徳山義広さん

・ 元コンディショングリーンギターの神鬼(シンキ)さん

・シアタードーナツ・オキナワ代表でちゃんぷる~沖縄市大使の宮島真一さん

・司会は島袋良太琉球新報中部報道グループ長