昼はガマ、夜は家で暮らす 新城啓一さん(4) 捕らわれた日<読者と刻む沖縄戦>


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今帰仁村仲尾次にある北山高校の正門付近

 今帰仁村与那嶺の砂浜で米兵に捕らわれた新城啓一さん(86)=読谷村=ら与那嶺住民は指示を受けて移動します。

 《住民全員を一カ所に集め、アメリカ兵が先頭になって、現在の北山高校の正門近くまで歩いて行った。そこで住民は長いこと座らされた。何か分からないが、住民の前にある畑でアメリカ兵が穴を掘っていた。住民は生き埋めにされると勘違いしたのか、ぶるぶる震えていたのを覚えている。》

 米軍はその後、集落に戻るよう住民に命じます。新城さん家族は家には戻りませんでした。

 《住民は各自、家に帰ったが、自分たちは家に帰らず、そのまま山の中の岩のガマに隠れていた。父は「まだ戦争は終わっていない」と思っていた。何日くらいガマでの生活が続いたか分からない。》

 父の徳保さんの指示で昼はガマで暮らし、夜は家に戻る生活をしばらく続けたのです。

 その後、米兵は集落内の家屋を回るようになりました。「アメリカ兵は各家庭を回っていました。もう戦争は終わっていたと思います。おそらく日本兵を探していたんじゃないか」と新城さんは話します。

 米軍の命令で与那嶺の住民は6月下旬、久志村(現名護市)の大浦崎の収容地区に移動します。住民は食料不足とマラリアに苦しみます。