シーミーでガマ再訪 新城啓一さん(5) 捕らわれた日<読者と刻む沖縄戦>


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新城さんら与那嶺住民が隠れていた長浜のガマ

 米軍に捕らわれた後、いったん集落に戻った新城啓一さん(86)=読谷村=ら今帰仁村与那嶺の住民は、米軍の指示で久志村(現名護市)大浦崎の収容地区に移動します。現在の米軍キャンプ・シュワブ内です。

 「今帰仁村史」によると、与那嶺を含む村の西側の住民が大浦崎への移動を命じられたのは1945年6月25日です。村の東側住民は羽地村(現名護市)呉我に移動しています。

 大浦崎に移動した住民は飢えとマラリアに苦しみます。

 「食べ物はなくて、親たちはイモを探しに今帰仁まで行きました。僕たちは谷底まで降り、空き缶で水くみをしました」と新城さんは語ります。弟はマラリアにかかり、「痩せて、骨と皮だけになった」といいます。

 「大浦崎には、相当長いこといました」と新城さんは話します。今帰仁住民が大浦崎を出たのは45年11月です。大人たちは村の復興に尽くします。新城さんは兼次小中学校で学びます。

 今年のシーミー(清明)の日、新城さんは家族とともに長浜を訪れました。45年4月、米兵に捕らわれた場所です。米兵から逃れ、避難したガマを見るのは数十年ぶりのことです。

 「戦争中、このガマに隠れていたよ」。新城さんは78年前の体験を家族に語りました。


 新城啓一さんの体験記は今回で終わります。次回から松茂良美智子さんです。