散乱する馬と人の死体 松茂良美智子さん(4) 捕らわれた日<読者と刻む沖縄戦>


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
現在の真玉橋。悲惨な光景が広がっていた

 松茂良美智子さん(91)=那覇市=の家族は1945年5月中旬、知人の3家族と総勢11人で糸満へ向かいます。男性の働き手は防衛隊や軍属に取られ、女性ばかりの心細い出発でした。松茂良さん家族は母マツさん、10歳の弟の朗さん、次男の妻、1歳のおいです。

 《兵隊が来て『海軍記念日が来たら友軍が助けに来るから』と勇気付けられ、私たち11人は一緒に、日没とともに南部へ避難します。

 ちょうど雨期の土砂降りで、砲弾が飛ぶ中、泥んこ道を一生懸命、家族と離れないように、時々名前を呼び合いながら南部へ退避しました。》

 真玉橋を経て糸満へ向かう途中、悲惨な光景を見ました。

 《軍人と民間人でごった返していて、道路には馬の死骸と人間の死体があちこちに転がっていて、ひどい臭いでした。また、道路沿いの民家からも一家全滅なのか、ものすごい死臭が漂い、「ああ、こっちもそうか」と子ども心にも分かりました。照明弾が上がるたびに地面に伏せました。死体につまずくと私も弟も重いリュックを背負ってなかなか起き上がれません。》

 途中、日本兵に声をかけられ馬車に乗りました。日本兵は「頑張って生きるんだよ」と言い、カンパンをくれました。

 《日本兵は沖縄の方でした。たぶん、自分の子どもや兄弟のことが重なって、声をかけてくれたと思います。》