「小さくても勝てる」体現 1978年の高校総体“辺土名旋風” 全国から注目 <W杯沖縄開催 バスケ王国の系譜>9


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全国高校総体バスケの1回戦で山形東と戦う辺土名の選手ら=1978年8月1日、山形県(安里幸男さん提供)

 1978年8月、山形県で開催中の全国高校総体のバスケットボール競技に、ある“旋風”が巻き起こっていた。平均身長170センチに満たない辺土名の快進撃だ。当時外部コーチを務めた安里幸男(69)が大会前にノートにつづった「日本の方向性を示すようなゲームを必ずやろう」との決意。上背がない沖縄勢が勝てば、世界の選手に身長で劣る日本の戦い方にも通ずるとの信念だ。試合を追うごとに会場に観客が押し寄せ、カメラがずらりと並び、コート脇も日本バスケットボール協会の関係者らで埋め尽くされた。しつこい守備からの速攻で縦横無尽にコートを駆ける選手は見る人を魅了し、全国3位の快挙を成し遂げた。「沖縄バスケの夜明けと呼ばれた」と安里は振り返る。

 

一対一の守備徹底

安里幸男さん

 大宜味中、辺土名高時代は指導者に恵まれず悔しい思いをしたという安里。「やんばるの後輩に同じ思いをしてほしくない」と教員を志して愛知県の中京大に進学した。在学中から帰省時は毎日母校に通い、後の辺土名のメンバーにも教えた。

 辺土名のエース、金城バーニー(62)と金城健(63)の原点は中3の県総体だ。安里率いるチームは準々決勝でコザ中に1点差で敗れた。一方のコザ中は優勝。バーニーは「高校で絶対に沖縄一になる」と巻き返しを誓う。

 バーニーらが高3の時、中京大を卒業した安里の指導が本格化した。オールコートのマンツーマンディフェンスを徹底し、ボールを手にするやいなや速攻に転じる。安里は「沖縄の選手が一対一で強いのは分かっている。足りないのは守備だった」と振り返る。

 練習は真剣勝負だ。安里がシュート何本、ダッシュ何本というハードルを設けると、選手は「できます!」と応える。バーニーは3ポイントラインから100本中97本決めた記録があり、「先生の想像を超えるプレーをすると褒められた。うれしくて調子に乗って練習していた」と振り返る。

 

リズムある個人技

「日本のバスケットボールの方向性を示すようなゲームを必ずやろう」とつづった安里幸男さんの練習ノート

 ノートにつづった「日本の方向性を示すようなゲームを必ずやろう」との覚悟を安里から伝えられた辺土名の選手ら。全国高校総体初戦で開催地の山形東に勝利した。準々決勝の習志野戦でガードの健が5人抜きしてシュートを決めた時は「うぉー」という歓声とともに観客もガッツポーズで喜んでいた。準決勝は福岡大大濠に敗れたが計5試合で100点ゲームが3試合あり、健とバーニーは総体の得点ランキングで1位と2位に輝いた。

 早稲田大学スポーツ科学学術院教授でバスケの元日本代表の倉石平(おさむ)(67)は「静と動を使い分ける本土に対し、沖縄は最初からずっと動だった。こんなの見たことがなかった」と現場で驚いた。倉石によると、本土の組織的なプレーとは異なり、沖縄は小気味よいリズムの個人技に特徴があるという。

 倉石は沖縄らしいバスケの背景に、米軍の存在やNBAなどのプレーを見ることができた「6チャンネル」の影響を挙げる。また沖縄勢は独自のリズムを崩さないとし「本土の文化とは違う三線やカチャーシーが日常にあふれている。それらが影響しているのではないか」と推測した。

人気漫画のモデルに

 漫画「スラムダンク」の作者の井上雄彦は「THE FIRST SLAM DUNK re:SOURCE」で辺土名旋風に触れている。「小柄な選手が運動量豊富に動き回る」「とても面白い存在」とし、沖縄出身の宮城リョータのキャラクターにつながったことを明かしている。

 宮城のいる湘北のライバル校、陵南の田岡茂一監督のモデルとされる安里は「多くの優勝校を差し置いていまだ語り継がれる試合をした。人に感動を与えることができた」と語った。
 

 (敬称略)
 (古川峻)