「自決用」の手りゅう弾をもらう 松茂良美智子さん(6) 捕らわれた日<読者と刻む沖縄戦>


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現在の糸満市喜屋武の集落入り口

 喜屋武村(現糸満市)喜屋武に着いた松茂良美智子さん(91)=那覇市=ら4家族は新たに壕を買います。200円でした。

 《壕といっても庭先に一畳半くらいの穴を掘り、その上に木材を並べて、その上にイシグー(コーラル)を敷き詰めた簡単なものでした。4世帯10人が膝をつき合わせて座るだけのスペースしかありません。24時間、この姿勢です。》

 松茂良さんは「あと何日生きることができるのか。捕虜になるより、潔く死のうと思うこともあった」と振り返ります。喜屋武では手りゅう弾を手に入れていました。「自決用です。日本軍からもらえるわけです」

 壕のある屋敷にも犠牲者が出ました。「次は自分たちか」と覚悟したこともありました。

 《夜は崩れかかった民家に8人の日本兵がご飯を炊きに来ました。全員が負傷兵で肩のところからちぎれている人、手足がない人、肘から切れている人、片足がない人、頭にけがを負っている人がいました。

 ただ1人、両手を使える人がいて、炊事ができるんです。ある月夜の晩、『北海道に同じ月を見ている母親と兄弟がいる』と涙を流していました。本当にかわいそうに思いました。》

 日本兵はシンメーナービに八分目くらいの水をたたえ、1合の米と野菜を入れ雑炊を作りました。「何人分の食事だったのだろう」と松茂良さんは語ります。