手りゅう弾捨て「死ぬな」 松茂良美智子さん(7) 捕らわれた日<読者と刻む沖縄戦>


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喜屋武の屋敷跡にあるヒンプン。弾痕が残っている

 松茂良美智子さん(91)=那覇市=が家族らと共に隠れていた喜屋武村(現糸満市)喜屋武の壕に、近くで避難していた青年がやって来ました。

 「首里(すい)ぬあやーさい、戦(いくさ)や負(ま)きとーいびーぐとぅ 手上(てぃあ)ぎてぃ 出(い)じてぃめんそーれ」(首里のおかあさん、戦争は負けました。手を挙げて出てきてください)と青年は呼びかけました。松茂良さんは死を覚悟します。

 《私たちは覚悟を決めて壕を出ようと思い、雑のうに入れてあった手りゅう弾を探したが、みつからない。おかしい、どこにもない。その時、護得久のおばあさんが「私が捨ててきた」と言うんです。いつの間に捨てたのか誰も気がつきませんでした。》

 護得久さんは繁多川から一緒に行動してきた知人です。松茂良さん家族と護得久さんの間で言い争いになりました。

 《私たちは捕虜にされ、辱めを受けるとか、戦車の周囲にぶら下げられるとか、そういう教育をされていましたので、死ぬのは全然怖くありませんでした。それよりも自殺したほうがましだと迫りました。》

 護得久のおばあさんは「必ず生きるんだ、死んではいけない」と反論します。松茂良さん家族は護得久さんの説得に応じ、繁多川から持ってきた花柄の服に着替えて壕を出ます。

 《全員、上等の洋服を着て出ました。死ぬ時はきれいに死にたいと思っていましたから。》