松茂良美智子さん(91)=那覇市=の家族は喜屋武村(現糸満市)喜屋武の壕を出て米兵に捕らわれます。「壕を出た日を後で聞いたら『慰霊の日』の6月23日でした」
壕を出ると体に入れ墨をした大きな米兵が待っていました。
《裸の兵隊がパイプをくわえて「カマーン、カマーン」と手招きをする姿は赤鬼みたいに見えましたが、何の感情もわきません。そばには銃を構えた100人くらいのアメリカ兵が二つの列を作っていました。
アメリカ兵は「両手を挙げて列の間を通って糸満海岸に進め」と私たちに言っていました。どうせ殺されるのだから、絶対に手を挙げないと心に誓いました。》
きれいな花柄の服を着ていた松茂良さんと母のツルさんを見た米兵は民間人と判断したのか、ジャムを食べさせようとしました。松茂良さんは「うったーむんかむねー 死ぬんどぅ」(彼らの物を食べたら死んでしまうぞ)と拒みました。
すると米兵は警戒を解くために自分で食べて、毒が入っていないことを伝えました。それを見てようやく松茂良さんはジャムを口にしました。
避難中、豚肉の入った油みそばかりを食べていた松茂良さんは「ジャムは甘くて、とてもおいしかった」と話します。
松茂良さん家族はその後、石川の収容所へ移動します。