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当たり前になりたい<伊是名夏子100センチの視界から>153


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 今月、人形遊びのメルちゃんシリーズに「うさぎさんくるまいす」が登場しました。子どものおもちゃの一つに車いすがあるのがとても嬉しいです。

 車いすを使っている人が身近にいない子どもは、街中で車いすユーザーを見かけると、びっくりして、指をさして「あれ、なに?」と言うことが多いです。一緒にいた大人は、説明をすることなく「指をささないの」「見ちゃだめ」と伝えることも多いでしょう。せめて「車いすだよ、歩けない人の足の代わりだよ」の一言を説明してくれたらいいのに。「危ないよ」と声掛けする大人も多いのですが「そばを歩いても私はぶつからないし、危なくないのだけどな」と残念な気持ちになります。

 そして学校などで「障害のある人に優しくしましょう」と習うのも違和感があります。障害のある人は一緒に過ごす仲間で、楽しいことや悲しいことを共有できる同じ人、というよりも、助けてあげないといけない存在だと学ぶことが多いからです。

 車いすがおもちゃの一部になることで、車いすを特別視することが少なくなり、楽しい乗り物の一つと思う子どもが増えるかもしれません。時にはメガネのように車いすもオシャレの一部として捉える子どももいるでしょう。

 私が小さい時、夢に見る自分は歩いていました。同じことは他の車いすユーザーでもよくあるそうです。自分の目に映る周りの人は歩いている人ばかりなので、自分も同じ動きなのだろうと予想するからでしょう。

 そして成長し、自分が車いすを使っていると十分に認識できるようになった時、アニメの登場人物にも、おままごとでも、ありのままの自分が当てはまるものがないと気づきます。自分が受け入れられてないように感じ、無意識に傷つき、自分の存在を否定するでしょう。車いすユーザーの先生や店員、ダンサーなど、なりたい職業に車いすユーザーがいたら、どんなに勇気づけられるでしょう。また、車いすユーザーを主人公にしたドラマや映画はありますが、物語の主人公になれるくらいに恵まれている人は一握りかもしれません。

 特別に注目されるのではなく、車いすに乗っている理由が問われることもなく、当たり前に自分に当てはまるものがあると、希望を持つ子どもは増えるでしょう。平均とは違っていても、当たり前の自分が、あちらこちらで存在する、そんな毎日を目指したいですね。


 いぜな・なつこ 1982年那覇市生まれ。コラムニスト。骨形成不全症のため車いすで生活しながら2人の子育てに奮闘中。現在は神奈川県在住。