「真和志ハイスクール」入学 松茂良美智子さん(9) 捕らわれた日<読者と刻む沖縄戦>


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
現在のうるま市石川宮前区

 1945年6月、喜屋武村(現糸満市)喜屋武で米軍に捕らわれた松茂良美智子さん(91)=那覇市=は石川の収容所に移されます。「現在の宮森小学校の近くです」

 松茂良さんは米軍のクリーニングの業務に就きます。米軍の食料をもらうこともありました。「アメリカーの残り物をもらい、周囲の人たちに配りました。とても喜ばれました」と松茂良さんは語ります。

 石川の収容所で半年ほど暮らした松茂良さんの家族は46年、現在の糸満市米須に移動します。「村長の金城和信さんの呼び掛けです。現在の『魂魄の塔』の前の広場に集まりました」と松茂良さんは話します。

 戦前の教育者で米軍から真和志村長に任命された金城和信さんは村の再興を期し、米須に集まるよう真和志村民に呼び掛けました。「糸満市史」資料編7(戦時資料・下)によると、真和志村民が集まったのは米須集落の南側にあった米軍宿舎の跡地です。村民は散乱していた遺骨を集め、46年2月に「魂魄の塔」を建てます。

 同じ頃、米須に糸満高校真和志分校が開校し、松茂良さんは入学します。当時の生徒たちは「真和志ハイスクール」と呼んでいました。後に真和志市長となる翁長助静さんが校長でした。翁長さんは前沖縄県知事の翁長雄志さんの父です。

 村民はその後、豊見城を経て真和志に戻ります。