今も食べない油みそ 松茂良美智子さん(10) 捕らわれた日<読者と刻む沖縄戦>


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真和志村民の戦後の出発地となった糸満市米須

 松茂良美智子さん(91)=那覇市=ら真和志村民は1946年7月から豊見城を経て真和志村に戻ります。

 松茂良さんが通っていた糸満高校真和志分校は46年9月に首里高校と合併します。松茂良さんは50年、首里高校を卒業し、真和志市役所に勤めました。

 沖縄戦から78年が過ぎましたが、松茂良さんは戦争体験を忘れません。豚肉の入った油みそを食べることができないそうです。避難していた壕の中の臭いがよみがえるからです。

 松茂良さんは米兵に捕らわれる直前、隠していた手りゅう弾をひそかに捨て「死んではいけない」と説得してくれた護得久のおばあさんを思い出します。

 《護得久のおばあさんがいなかったら、自決していただろうと思う。あの時のおばあさんの言葉が私たちを救ってくれた。本当にありがとう、おばあさん、と感謝しています。》

 真和志国民学校に通っているころ、日本兵が軍靴の音を響かせながら歩調を合わせて学校のそばを行進していました。その記憶をたどりながら、今日の軍備増強の動きを心配してます。

 《格好いいなと思い、授業中によそ見をして先生に怒られました。それから5、6年くらいで地上戦になるなんて、夢にも思いませんでした。

 今の自衛隊もこれ以上、多くならないよう、切に願っています。子や孫のために。》


 松茂良美智子さんの体験記は今回で終わります。次回から新城喬さんです。