キングス誕生 普及率の高さ、熱狂的県民性が決め手に 根底にある沖縄の魅力 <W杯沖縄開催 バスケ王国の系譜>10


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 2005年11月5日、日本初のプロバスケットボールリーグの「bjリーグ」が開幕した。07―08シーズンに沖縄に「琉球ゴールデンキングス」が誕生し、その後、県内外で人気のあるチームとなった。当時、立ち上げに関わった人の思いは、“沖縄を元気に”というものだった。
 

新規参入候補に

 キングスを運営する沖縄バスケットボールの前社長、木村達郎が新規参入チームの候補地を沖縄にしたのは2005年の12月末のことだった。ほかに神奈川や福岡も候補だったという。バスケットをやっていた時に見た、沖縄県出身者のプレーに魅力を感じ、沖縄出身の後輩が地元を大切に思う姿が印象に残っていた。バスケットの驚異的な普及率や、高校野球で熱狂的な応援を送る県民性も決め手となった。

 しかし、東京都出身の木村らには県出身の知り合いはほとんどいなかった。思い悩んだ木村は、当時のbjリーグの河内敏光コミッショナーに相談し、紹介されたのが県バスケットボール協会副理事長だった日越延利(現・会長)だった。

県バスケットボール協会の日越延利会長

 日越によると、当時沖縄にbjリーグのチームを作りたいと手を挙げていたのが全部で3組あった。その中でも木村らの説明が印象に残った。「具体的なイメージを描いていて、将来の夢もわかりやすかった」と振り返り、「沖縄のため、沖縄の子どもたちのためになってくれる」と確信したという。

 そこから行政も含め、関係者を訪ね、説明を繰り返した。警戒されることもあったが木村らは沖縄のバスケットの魅力を語り、しっかりしたマーケティングの話で信用を生み、その信用がまた人の信用を生み、多くの人につながった。
 

最下位から頂点へ

 06年10月に07―08シーズンからのリーグ参入が決まり、沖縄バスケットボールが設立された。初年度は地区最下位に沈んだが、その後はbj最多の4度の優勝を果たした。Bリーグに舞台を移しても、6度の地区優勝、22―23シーズンはBリーグ初優勝も手にした。

 参入当初は観客が千人に満たない試合もあったが、22―23シーズンは平均入場者数もBリーグ最多の6823人となった。さらにBリーグ史上初となるシーズン来場者数20万人も達成した。
 

キングス―千葉J 優勝を決め、トロフィーを掲げて喜ぶキングスの選手たち=5月28日、横浜市の横浜アリーナ(小川昌宏撮影)

 木村から社長を引き継いだ白木享はBリーグ制覇後に「今後も『沖縄をもっと元気に』というテーマで頑張りたい」と語った。日越は「沖縄の子は『Bリーグの選手』ではなく、『キングスの選手』になりたいと言う」と笑う。キングスは沖縄のバスケットの象徴になっていると言っても過言ではないだろう。

 キングスのホームアリーナの構想は、日越によると木村らの当初の説明ですでにあったという。「NBAのアリーナの映像を見せながら、将来的には沖縄にアリーナを造りたいと言っていた。アリーナへの思いは強かった」。そんな木村らのアリーナへの思いは14年に動き始めた。

(敬称略)
(屋嘉部長将)