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「平和学習の先駆者だった」 平良啓子さんの死を惜しみ関係者ら弔問 沖縄・大宜味


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対馬丸での体験を語る平良啓子さん=2017年

 【大宜味】対馬丸事件の語り部で、7月29日に88歳で死去した平良啓子さんの弔問のため、沖縄県大宜味村喜如嘉の自宅には31日も親族や関係者が訪れ死を惜しんだ。火葬は同日、親族で行った。

 対馬丸記念館(那覇市)の開館前から親交があったという沖縄国際大非常勤講師の吉川由紀さん(53)は「実感が湧かない。いなくなったことを認めたくない」とぼうぜんとした。毎年11月に大学の講義で対馬丸事件を取り上げ、必ず平良さんの講演を組み込んだ。平良さんの話に学生は普段と違う顔になったといい「戦争体験に裏付けられた反戦の意志を、学生に届く言葉で話してくれる人はなかなかいない。唯一無二の存在だ」と語った。

 吉川さんによると、平良さんは愛楽園に入所していた同級生を気にかけていた。「差別や偏見の複雑さについても話していた」と振り返った。

 沖縄国際大非常勤講師で沖縄戦研究者の川満彰さん(63)は「平和学習の先駆者で、あこがれの人だった」と肩を落とした。県外から平和学習に訪れた人に、大宜味村役場にある「憲法九条の碑」の意義や沖縄戦の愚かさを語っていた姿に触れ「戦争の実相を淡々と明るく話していた。ひどい目に遭っていることを、明確かつはきはきと話す姿が印象的だ」と振り返った。

(武井悠)