戦死兵の印鑑、遺族へ 70年ぶり「一緒に帰ろう」 西原町の壕で発見


この記事を書いた人 田盛 良一
印鑑が見つかった壕内で高江洲善清さん(右)から説明を受ける遺族の野田博さん(右から2人目)と紀子さん(同3人目)=21日、西原町棚原の日本軍の壕

 【西原】ことし3月に西原町棚原の旧日本軍の壕で見つかった「野田満」名の印鑑について21日、満さんの妹野田紀子(みちこ)さん(74)=福岡市=と弟の博さん(72)=北九州市=が引き取りに来県した。印鑑を見つけた遺骨収集ボランティアの高江洲善清さん(63)=那覇市=の案内で西原町の壕を訪れ、遺族らは70年ぶりに兄満さんの生きた証しを受け取った。紀子さんは壕内で花束を手向け、声を詰まらせながら「一緒に帰ろうね」と声を掛けた。

 満さんは陸軍独立歩兵14大隊に所属し、陸軍曹長で24歳の時に沖縄戦で亡くなった。亡くなった場所は不明で遺骨は無く、石の入った箱が戦後実家に届いたという。
 博さんは「兄が見つけてほしいと言っているかのようだ。両親の元に返してあげたい」と語った。
 印鑑は3月に高江洲さんが見つけた後、平和の礎の刻銘版で野田さんの名前を確認し、佐賀県出身ということは判明していた。高江洲さんら関係者が県を通して佐賀県に照会を依頼していたところ10月下旬に博さんら遺族にたどり着いた。
 紀子さんは「母はいつも夏ミカンの時期になると兄が好きだったからと仏壇にお供えしていた。父も生前沖縄に行きたがっていたが、復帰前で渡航がままならずその思いを果たせないまま亡くなった。印鑑を見つけていただき本当に感謝している」と語った。
 高江洲さんは印鑑と共に革靴の靴底、軍服の襟の部分なども合わせて収集しており、遺族に手渡した。「ここに印鑑を埋めることでいつか遺族が取りに来るのを70年待っていたのかもしれない」と高江洲さんは語り「遺品を返し肩の荷が下りた」とほっとした表情を見せた。
 博さんは妻の茂子さん(66)と娘の今福元愛(もとあ)さん(43)、今福さんの息子の祥太郎君(7)と健太郎君(7)の3世代6人で来県した。