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ガマ出る住民に「裏切り者」 新城喬さん(9) 捕らわれた日<読者と刻む沖縄戦>


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
現在の大度海岸。住民や日本兵が追いつめられた

 摩文仁村(現糸満市)の大度海岸の岩陰やガマに隠れていた新城喬さん(91)=北中城村=は食料が底をつき、餓死の危機に直面していました。

 「ここにいたら死んでしまう。食べ物を探さなければならない」という局面に追い込まれていました。米軍は投降勧告を繰り返していました。

 《近くには奥深い洞穴がいくつかあり、大勢の兵士や住民が命からがら隠れていて、その中には負傷者や病人も大勢いました。崖上からは米軍がたどたどしい日本語で「住民は殺さないから出てきなさい」とマイクで呼び掛けていました。》

 新城さん家族ら大度の海岸に隠れている避難民は投降を決断します。ガマを出るとき、日本兵からさまざまな声がぶつけられました。

 《米軍の捕虜になったら殺されるのか、あのビラやマイクで呼び掛けている通り、殺されずに助けてもらえるのか、皆目分からないまま数十人の人々と共にガマを出たのです。

 しばらく歩いていると、岩陰に隠れている飢えた友軍の兵士と途中で出会いました。「食べ物を置いていけ」「裏切り者だ」という人がおれば、「大丈夫だ。住民は出て行け」などと言う者もおり、私たちはさまざまな声をかけられました。》

 負傷した兵士や動けなくなって死を待っているような兵士を見ながら新城さんらは米軍に捕らわれました。