黙とうの最中も響く戦闘機のごう音 嘉手納の農林健児之塔で慰霊祭 亡き友に平和誓う


社会
この記事を書いた人 琉球新報社
県立農林学校の同窓生を代表して追悼のあいさつを述べる渡口彦信さん=15日、嘉手納町の農林健児之塔

 【嘉手納】嘉手納町に戦前あった県立農林学校の同窓生や教職員500人余の戦没者を刻銘した農林健児之塔(同町嘉手納)で、終戦記念日の15日、慰霊祭が行われた。同窓生7人や遺族3人、町関係者などを含めた計52人が参列し、戦没者を追悼した。通常規模の開催は4年ぶり。

 慰霊祭では同窓生を代表し、同校41期生の渡口彦信さん(96)=読谷村=が追悼のあいさつを述べた。当時18歳だった渡口さんは卒業直前の1945年3月に初年兵として徴用され、同年6月には捕虜になりハワイの収容所に移送された。

 渡口さんは「楽しい学園は部隊の兵舎として収用され、生徒は連日陣地構築作業にかり出された。夢を抱き勉学に励んでいた学友や教師が犠牲になり、痛恨の極みだ」と語った。

 渡口さんら生徒は、中飛行場(現嘉手納基地)の構築や、座喜味城跡の城壁を壊して高射砲の土台を作る作業に当たった。「戦争は絶対起こしてはならない。常に平和を願っている」と不戦を誓った。

 式典では嘉手納中学校3年生の又吉凛花さんが平和のメッセージとして、自身で書いた詩「私が思う平和」を朗読した。又吉さんは詩の中で「私たちは平和な沖縄しか知らない。でも戦争の怖さを理解し、二度と戦争が起きないようにと願うことはできる」と、平和を守り抜く決意を力強く語った。

 参列者の黙とう中、米軍の戦闘機が上空を飛行し、ごう音が響く場面もあった。嘉手納町役場によると、黙とう中の午前10時02分に、ロータリープラザ局で騒音94・8デシベルが計測された。90デシベルは騒々しい工場内の音に相当し、会話がほとんど不可能とされる。
 (石井恵理菜)