宜保榮治郎先生とは、私が伝統組踊保存会の事務局にいる頃からの付き合いだ。物おじせず、行動力がある先生は、国立劇場の誘致や、組踊の伝承者育成、地元である名護市の地域芸能の調査など、沖縄の芸能や文化行政の中心にいた。
2004年に開場した国立劇場おきなわを誘致する際、宜保先生は期成会の事務局長、私は事務局次長だった。一緒に沖縄開発庁と文化庁に要請に行ったが、最初は大臣に会えなかった。行政や政治家などとの交渉は慣れないことが多く、苦労した。
復帰前に組踊の朝薫5番が琉球政府指定の無形文化財に指定された際は、眞境名由康や宮城能造など先生方の記録映画を撮影する作業に宜保先生も関わった。国指定に向けても尽力された。復帰後は、後継を育てることが急務だった。特に「女形」や「若衆」を演じる男性が少なかったため、1992年頃、宜保先生たちと「若松会」を立ち上げた。県立博物館の場所を借りて若手を対象に講座や稽古をした。宜保先生は国立劇場おきなわ開場後、組踊伝承者養成研修事業に携わった。今これだけの若手が育ったのは宜保先生のおかげだと思う。
沖縄の地の利や歴史からアジアとのつながりにも目を向けた。国立劇場おきなわとしてアジアの芸能と交流する機会をつくろうと、宜保先生を中心にアジア・太平洋文化交流ネットワークin沖縄を設立し、公演や勉強会を開いた。
「戦後沖縄の芸能あるところに宜保榮治郎あり」と言ってもいいくらい、沖縄芸能の発展に貢献してこられた。大事な人を失った。
(伝統組踊保存会相談役、談)
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宜保榮治郎さんは4日に死去、89歳。