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学校行けず畑仕事 諸見里ユキさん(9) 捕らわれた日<読者と刻む沖縄戦>


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今年の慰霊の日の魂魄の塔

 具志頭村(現八重瀬町)後原に戻ってきた諸見里ユキさん(90)=八重瀬町=は父の真信さんと2人で暮らします。

 《長兄は昭和14年に徴兵され、ビルマに派遣されたことは分かっていたが、その後、どうなったか情報はなかった。

 終戦後、役場から戦死の知らせがあり、父に白木の箱が遺骨として渡されたが、中に何が入っていたのか分からない。

 次兄も喜屋武に避難すると出て行ったきり戻ることはなかった。》

 諸見里さんは戦後、学校に通うことはありませんでした。

 《6人きょうだいの末娘として甘やかされて育った私の人生は激変した。戦争で兄2人、姉を亡くし、父と2人だけ残された。長女の次女の2人の姉は既に嫁いでいた。

 父は既に60歳、働き手を失ったため、私がユイマールをしながら畑仕事をしなくてはならなくなった。戦後、他の同級生は通学したが、私は学校に行けなくなってしまった。悲しくて仕方のないことだと諦めた。》

 諸見里さんはその後結婚し、6人の子を育てました。「自分の子には学問をさせたい」という思いで頑張り、5人は大学、1人は専門学校を卒業しました。「それで自分の気持ちは晴れた」と諸見里さんは語ります。

 諸見里さんは毎年、慰霊の日に糸満市の「魂魄の塔」を訪れます。今年も塔の前で母や2人の兄と姉の冥福を祈りました。


 諸見里ユキさんの体験記は今回で終わります。次回から与座ツルさんです。