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「ヒューマニズムあふれ」「褒章すべて断り」瑞慶覧長方さん死去 関係者らがしのぶ


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この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 元県議会議員で沖縄社会大衆党の委員長を務めた瑞慶覧長方(ずけらん・ちょうほう)さんが18日午後5時55分、慢性腎不全のため南城市大里の自宅で死去した。91歳。大里村(現南城市)出身。本通夜は23日に自宅で執り行われる。告別式は24日午後5時から6時、南風原町津嘉山1679の1、拓商セレモニー会館で。喪主は妻カツさん。瑞慶覧長敏前南城市長の父で、瑞慶覧長風南城市議の祖父。

 瑞慶覧さんは1932年6月生まれ。知念高、琉球大理学部生物学科で学び、卒業後は教員として知念高、糸満高で勤務した。一時農業に専念したが、68年の三大選挙(琉球政府行政主席、立法院議員、那覇市長)で恩師の屋良朝苗さんが出馬した主席公選の応援に回り、その後社大党に入党。72年に県議に初当選し、3期12年を務めた。87年から89年まで社大党委員長を務めた。サボテン研究家としての活動や、沖縄戦体験者として平和活動にも尽力した。

 社大党委員長の高良鉄美参院議員は訃報に「復帰前後の激動の沖縄を知る先輩をまた一人失った」と声を落とした。

 社大党副委員長の比嘉京子県議は、琉歌を交えて演説する瑞慶覧さんの姿を思い「人をより好みせず、誰とでも同じ目線で話すヒューマニズムあふれた方だった」と話した。

 多くの薫陶を受けた元県議会議長の喜納昌春さんは「沖縄戦体験者として戦争への怒りや後悔など、並々ならぬものを背負い、先頭に立ち、向かうべき方向を示してくれた」と話した。

 元参院議員の糸数慶子さんは「オスプレイ配備などを沖縄に押し付ける国の姿勢に怒り、国から褒章の声がかかっても全て断っていた。戦争体験に基づく信念の下、強く平和を願っていた方だった」と故人をしのんだ。

(座波幸代、佐野真慈、藤村謙吾)