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「ハノー」の名前忘れず 渡口輝雄さんの体験(4) 兄の戦争 <読者と刻む沖縄戦>


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那覇市垣花のウティンダ

 やんばるの収容地区にいた又吉永子さん(82)=那覇市=の家族は、兄の渡口輝雄さんが米兵からもらった食料で飢えをしのぎました。輝雄さんは当時のことを書き残しています。

 《後日、米兵から仕事を頼まれ、兵舎に行き、靴磨きや洗濯、掃除の仕事を頼まれた。仕事が終わると食料、菓子、パン、子ヤギなどをもらい、帰りは辺野古近くの山道まで送ってくれた。仕事は数日続き、米兵はその後、移動していった。》

 輝雄さんは米兵の名を「ハノー」と記しています。

 収容地区から引き上げた家族は那覇市垣花のウティンダ(落平)の近くに居を構えます。家の前を往来する米軍トラックを見ながら暮らしました。

 永子さんは「多感な15歳の時、兄は長男として家族のために勇気と知恵で乗り越えた。いま、その思いを知るにつけ、感謝の思いでいっぱいです」と語ります。

 輝雄さんは晩年、自身の戦争体験を話すようになり、体験記を残しました。一米兵の名を忘れなかった兄の思いを永子さんは代弁します。

 《人種は違っても、魂の触れあいで理解することができたのだと思います。昨今のかまびすしい時代の中で、世界融和、世界の平和を祈らずにはおれません。》

      ◇

 渡口輝雄さんの体験記は今回で終わります。旧盆明けに連載を再開します。