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辺野古不承認訴訟 司法も差別政策の一部<佐藤優のウチナー評論>


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佐藤優氏

 名護市辺野古の新基地建設で、沖縄防衛局の設計変更申請を県が不承認とした処分を巡る訴訟に関して最高裁判所からの文書が8月25日に県に送達された。

 <設計変更を承認するよう国土交通相が県に求めた是正指示の妥当性を争う訴訟は、県が申し立てた8項目のうち、災害防止要件や環境保全要件など4項目について受理された。最高裁が審査し、判断が示される。判決は9月4日。

 /一方、国は行政不服審査法上の審査請求人たり得るかといった「固有の資格」を巡る主張など4項目は、受理されなかった>(8月26日本紙電子版)。

 9月4日に最高裁がどのような判断をするかは、既に現時点で正確に予測することができる。

 <是正指示を適法とした福岡高裁那覇支部判決の変更に必要な弁論が開かれず、判決期日が9月4日に指定されたため、県敗訴が維持される可能性が高い>(同上)。

 こういう結果になることは、最初から分かっていた。辺野古新基地建設の本質は、日本の陸上面積の0・4%を占めるに過ぎない沖縄に米軍専用施設の約70%が所在するという不平等な状況を是正せずに、さらに新基地を建設するという中央政府の沖縄に対する差別政策にある。しかもこの差別は構造化している。差別が構造化している場合、差別する側の人々は自らを差別者と認識していないのが通例だ。この構造化された沖縄差別は、日本の全てのシステムに埋め込まれている。司法もその例外ではない。

 こういうときに重要なのは、建前を確認することだ。その意味で玉城デニー知事の対応は正しい。

 <文書送達を受け、玉城デニー知事は「憲法が司法に託した『法の番人』としての矜持(きょうじ)と責任のもと、憲法の保障する地方自治の本旨を踏まえ、公平・中立な判断をされることを最後まで期待する」とのコメントを発表した>(同上)。

 最高裁が公正・中立な判断をしないことが分かっていても、法の下で沖縄も他の日本と平等の扱いを受けるべきだという原則を確認するのだ。

 軟弱地盤の上での建設を試みている辺野古の新基地が完成しないことを東京の政治エリート(閣僚、国会議員、官僚)もよく分かっている。しかし、軌道修正することができない。その理由は二つある。第一は、現状を維持することと辺野古新基地建設を中止することを比較した場合、後者の方が圧倒的に政治コストがかかるからだ。第二は、宗主国(植民地を支配する国家)の植民地主義的プライドのようなもので、沖縄の異議申し立てに応えることに対する無意識の抵抗だ。意識的ならば、合理的説得により矯正することができるのであるが、無意識な領域での認識を変化させることは難しい。

 結局、沖縄人が大民族である日本人と「共生」する際には、常にこの種の構造化された差別と差別意識がつきまとうという現実を冷静に認識することが重要だ。最高裁の判決が沖縄の利益に反し、沖縄人の感情を逆なでするものであっても、われわれが冷静さを失わないことが重要だ。

 東京の政治エリートは沖縄人が、日本に抵抗しても無駄だと諦めることを狙っている。沖縄人はこの状況に我慢して耐えているが、決して諦めたわけではない。理不尽なことに対して決して諦めないというのは沖縄人の特徴だ。だからこそ、1879年の「琉球処分」(日本による併合)後、21世紀の現在に至るまで沖縄人は日本人に完全に同化することはなく、自らのアイデンティティーを保持し続けてきたのだ。そのアイデンティティーは沖縄に住んだことがない筆者にも継承されている。

(作家・元外務省主任分析官)