【写真】「この景色、どう映ったのか」沖縄戦時、ハンセン病患者らが避難の「ガマ」 宮古島市


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戦時中に宮古南静園の入所者が避難した自然壕「ぬすとぅぬガマ」。壕の中から外を見るときれいな砂浜や珊瑚礁の海の絶景が広がる=8月29日、宮古島市平良島尻

 【宮古島】「宮古南静園」の隣接地にはきれいな砂浜と青い海が広がる。その海岸を北向けに約500メートル歩くと、岩肌にぽっかりと口の開いた自然壕が現れる。戦時中、南静園の入所者が空襲から逃れるために逃げ込んだ自然壕「ぬすとぅぬガマ」だ。極度の栄養失調などで1945年の1年間だけで約110人の入所者がこの場で亡くなったという。

 地上戦がなかった宮古島だが、激しい空襲で甚大な被害が出た。44年10月10日に宮古島大空襲があり、翌年3月から度重なる空襲で南静園は壊滅状態となった。

 同園が空襲の標的になった理由について、同園の関係者は「国が造った施設で、同じような建物が並んでいたため、兵舎など日本軍の関連施設と思われた」と説明する。

 職員は施設を放棄して逃げたため、入所者は近くの雑木林や同壕に逃げるしかなかった。食糧不足による栄養失調や蚊が媒介するマラリアで多くの入所者の命が奪われた。証言によると、避難者は亡くなった入所者を壕付近の砂浜に埋めた。戦争が終わると、遺体を掘り起こして火葬し、一部の遺骨は納骨堂に納められているという。

 壕に入り、外側を見るときれいな砂浜と珊瑚礁の海が広がる。南静園のボランティアガイドを務める小路千惠子さんはこうつぶやく。「この壕に逃れ、仲間たちが次々と亡くなる状況で、入所者たちの目にこの景色がどのように映ったのか」。
 (友寄開)


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