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小さな漁船で与那国へ 与那覇カヅさん(5) 台湾への疎開<読者と刻む沖縄戦>


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 1945年8月の敗戦で日本の台湾統治は終わります。台湾の日本人社会は混乱に陥ります。宮古から台湾に疎開していた与那覇カヅさん(87)=那覇市=は帰郷を急ぎました。

 《私たち家族は宮古から来た叔父の機転で、ヤミ船に乗ってどうにか故郷に帰ることができました。出発の日の午前2時ごろ、急に起こされ、夜道を港まで歩いて行きました。月明かりで波が広い道路に見えました。そこを渡ろうとして海に落ちかけました。

 乗船者は同じ集落出身者ら20人。定員オーバーでした。小さな漁船のようで、手で波をジャブジャブ触ることができました。周りは真っ暗で怖かったけれど、子ども心に波と戯れていました。私たちは無事、与那国島に到着しました。》

 台湾の北東部・蘇澳(すおう)の港から漁船に乗って沖縄に向かったのは45年9~10月ごろです。船には、与那覇さんの故郷である下地村野原(現宮古島市上野野原)の隣にある川満集落の出身者2人が乗っていました。与那覇さんの姉の友人でした。ところが、他の川満集落の人々が乗った栄丸が11月、台湾・基隆港沖で沈没し、100人余が亡くなりました。

 《私たちと2人は九死に一生を得ました。亡くなった人たちのことを考えると、今でも心が痛いです。疎開する時は大きな船。戦争に負けたら何の補償もないヤミ船に命からがら乗る。無事で生きてこられたことに感謝します。》