1996年、26歳の若さでこの世を去ったお笑いコンビ「ファニーズ」の山城達樹さんを追ったドキュメンタリー映画「ファニーズ」が8日から、シネマQとミハマ7プレックスで公開される。大学時代に芸能事務所「FECオフィス」を立ち上げ、コンビの活動と代表の二足のわらじで沖縄のお笑いの裾野(すその)を広げた達樹さんは、テレビでも活躍するなど人気絶頂の中で急逝した。達樹さんの2歳違いの弟で、FEC代表を引き継いだ芸人の山城智二さん(52)が本作品の監督。智二さんに改めて作品への思いを聞いた。(聞き手 田吹遥子)
―制作のきっかけは。
「制作会社から声かけがあった。達樹のことを何か残さないといけないとの思いはずっとあった。二つ返事で引き受けた」
―昨年の達樹さんの命日8月24日から撮影が始まった。
「10カ月間撮影して、途中からは撮影と編集の同時進行だった。映像の編集はことし7月までかかった」
―智二さんは達樹さんに関わった人たちのさまざまな話を聞き、「(達樹さんは)常に沖縄のお笑い界全体のことを考えていた」と話していた。達樹さんに関して気付いたことは。
「達樹が残してくれたものがいっぱいあったし、達樹と接した人の(映画でも紹介される)エピソードは新鮮だった。『ゆうりきや~』の城間祐司さんと居酒屋で互いに悩みを相談していたとか」
―達樹さんの話にとどまらず、沖縄のお笑いの歴史まで描いた。
「達樹が沖縄のお笑いの一部分を作ったという思いがあるので、沖縄のお笑いの歴史を踏まえながら僕なりに表現したかった。沖縄自体が面白い場所なので、沖縄の歴史や風習、空気感みたいなものを伝えたいと思った」
―仏壇のシーンもある。
「沖縄はあの世とこの世が近い場所だと僕は思っている。それを表現したくて。達樹もグソー(あの世)にいるけど、そんなに遠くないよと」
―達樹さんの忘れ形見である息子の皆人さんや妻の優子さん、妹の知佳子さんら身近な家族も登場する。
「特に奥さんに話を聞くのはためらったが、達樹のことなら何でも協力すると言ってくれて」
―達樹さんの死後、智二さんは残されたノートを元にFECを引き継いできたが、途中で自分がやりたいこともやると切り替えたと話す場面があった。切り替えたきっかけは。
「具体的なきっかけはなくて、徐々にそうなっていった。達樹が死んで、まず何をやったらいいのか分からなくなった時、達樹が残してくれたもので乗り越えられた。でも徐々に、それは達樹が残したことをただやってるだけだという感覚に陥った。自分が本当にやりたいことをごまかしてやると自分も壊れてしまうところまできたので、自分なりに気持ちを切り替えた」
―自分らしくやろうと。
「欲張りだけど二つ。達樹が残してくれたものをやりつつ、自分のやりたいこともそこに乗っけてやる」
「これは達樹がやるアプローチではないだろう、達樹に怒られそうだなと思う時もあるが、最終的にはまあいいやと。自分が死んだ後に達樹と酒を飲みながら時々説教されたり、良かったよと言ってもらったりするのを楽しみにしている。そうすると気持ちが切り替わった」
―改めて見どころを。
「家族や兄弟の絆とか、普遍的な部分も映画の中で表現している。もう会えないけれど、会いたい人と言えば僕にとってはやはり達樹。皆さんのそういう存在は誰だろうと、思い返すきっかけにもなれば」
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やましろ・たつき(写真左) 1969年生まれ。学生時代に同級生の渡久地政作(同右)とお笑いコンビ「ファニーズ」を結成。テレビやラジオなどで活躍した。コンビの活動と並行し93年には、大学卒業とともに芸能事務所「FECオフィス」を創設。お笑いオーディションなども実施し、若手の育成にも力を入れた。96年に26歳で急逝した。