「はいたいコラム」 神様が願いを叶えたい人とは


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 島んちゅのみなさん、あけましておめでとうございます!2016年が始まりました。新しい年の幕開けです。今年の抱負は決まりましたか?たとえ三日坊主であれなんであれ、今年はこうするぞ!と事業計画を立てる習慣は悪くないものですよね。そのために初詣はあるのかもしれません。

 わたしも母と実家近くの生島神社さんにいってきました。(東京在住ですが、今この原稿は帰省先、兵庫県尼崎市の珈琲店で書いています。)
 みなさんは初詣でなにをお願いしましたか?願い事はなるべく具体的な方がよいそうです。「幸せになれますように」では、あなたにとっての幸せが、お金儲(もう)けなのか、健康なのか、娘の就職なのか、息子の結婚なのか、神様は知るよしもありません。口偏に十と書いて「叶」うです。自分はこうなるんだと何十回も口にすることで、漠然とした意識が“見える化”するんですね。
 ですから神様にお願いをしているようで、実は自分の脳に再認識させているのかもしれません。目をつぶり、姿勢を正し、手を合わせると、心が集中します。さあ、わたしの目標は~…今年こそ3キロ△や#せ$%&‘()0むにゃむにゃ~神さま~。
 さて、念入りで具体的なお参りを終えた後、境内で落ち葉掃除をしている人たちを見かけました。4人の年配の男性が白い作業着姿で熊手を持ち、山のような落ち葉をかき集めていました。日も陰って冷え込む中、黙々と掃除する姿にわたしの足は止まりました。
 行列ができるほどの参拝客の中で、神頼みだけ熱心なわたしのような者をよそに、この境内でいちばん徳を積んでいるのは、この人たちだと思いました。もしもわたしが神様だったら、この方々の願いをまずは聞き入れたいと思ったのです。
 自分の目標を具体的に“言語化”するのは、確かに願いを叶える一つの方法です。でも次なるステップは“行動”です。どれだけ自分の手と足と頭を動かすか。神様はもちろん、得意先も、上司も、部下も、どこかであなたの行動を見ているのです。
 中国の故事に寒山拾得という二人の僧侶の話があります。そのうち拾得は、いつもほうきを持って掃除する係でしたが、後に普賢菩薩になるほど徳を積むのです。一年の計は元旦にあり。あなたは何から始めますか。
 (フリーアナウンサー・農業ジャーナリスト)
(第1、3日曜掲載)
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 小谷あゆみ(こたに・あゆみ) 農業ジャーナリスト、フリーアナウンサー。兵庫県生まれ。介護・福祉、食、農業をテーマにした番組司会、講演などで活躍中。野菜を作る「ベジアナ」として、農ある暮らしの豊かさを提唱、全国の農村を回る。