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「希望の星だった」もろさわようこさん死去、沖縄からもしのぶ声続々


「希望の星だった」もろさわようこさん死去、沖縄からもしのぶ声続々 故上井幸子さんが撮影した島尻ウヤガンの写真パネルを取り出すもろさわようこさん
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 沖縄にも深く関わった女性史研究家のもろさわようこさんが死去した。親交のあった県内の関係者は、これまでの精力的な活動を振り返り、故人をしのんだ。

 「志縁(しえん)の苑(その)」の評議員を務める、元県議の狩俣信子さん(82)は「もろさわ先生の言う女性の自立や男女平等の考えは私の活動の原点でもあった」と語る。昨年、沖縄に滞在し執筆活動をしていたもろさわさんと車いす姿で話をしたのが最後となった。「女性が虐げられた歴史に光を当ててくれた。まさに希望の星だった」と別れを悔やんだ。

 沖縄女性史研究者の宮城晴美さん(74)は、もろさわさんの「歴史記録を女性の視点から書き直せ」という言葉が研究の原点となった。もろさわさんが1991年に講師を務めた那覇市の「女性講座」は「おもろさうし」を例に、記録はすべて男(支配者)によるもので男に都合よく書かれていると指摘した。「もろさわさんは記録者であり伝承者。『ヤマトゥンチュー』となじられながらも、沖縄への好奇心と愛から、沖縄に拠点さえ造りあげた」と語り、尊敬と追悼の意を示した。

  宮古島市のライター・下地恵子さん(67)は、もろさわさんが70年代に宮古島・島尻の秘祭「ウヤガン」と出合ったエピソードを振り返り「夜中、漁港近くの岩陰で寒さに凍えながら神歌を聞き、自然に涙が流れ、迷っていた自分の人生の何かが吹っ切れた気がしたと語っていた。(女性運動家の平塚らいてうがうたった)『元始、女性は太陽であった』という女性の原点をみたのだろう」としのんだ。