「犠牲の上に今の平和がある」 八重瀬町でピースウォーク 白梅学徒隊に思いはせ、40数人が足跡たどる


この記事を書いた人 松永 勝利
沖縄戦当時の第一野戦病院手術場壕内の悲惨な状況を語る中山きくさん(右)=4日、八重瀬町の八重瀬岳

 【八重瀬】沖縄戦で八重瀬岳の第一野戦病院本部壕などに配属され、負傷兵の看護に従事した白梅学徒隊について学ぶため現地を訪ね歩く「白梅学徒隊の足跡をたどるピースウォーク」(八重瀬町ガイドの会主催、町教育委員会共催)が4日、八重瀬町で行われた。参加した40数人は白梅学徒隊が看護実習を受けた東風平国民学校(現町立東風平中学校)から八重瀬岳までの約3・5キロを汗を流しながら歩き、当時に思いをはせた。

 白梅学徒隊が解散命令を受けた1945年6月4日に合わせて開催した。八重瀬岳の手術場壕では、白梅同窓会会長の中山きくさん(87)が、当時の壕内の悲惨な状況を振り返った。「2段ベッドがひしめき、一日中、日本兵の叫び声が飛び交っていた。麻酔もなく手や足を切り落とす手術を明かりで照らし、その手や足を片付けるのが私たちの役目だった」と語った。

 参加した宗像浩司さん(45)=与那原町=は「中山さんの体験はあまりにも壮絶で、犠牲の上に平和が成り立っていることを感じた。若い世代にも伝えていきたい」と話した。【琉球新報電子版】