「静かに安らかに」 遺族、児童が祈り 宮森小米軍機墜落事故57年


この記事を書いた人 新里 哲
「仲よし地蔵」に花や折り鶴を手向ける宮森小学校の児童=30日、うるま市の宮森小学校

 【うるま】米空軍嘉手納基地を飛び立った整備不良の米軍戦闘機が石川市(現うるま市石川)の住宅地や宮森小学校に墜落した事故から57年となった30日、遺族会とNPO法人「石川・宮森630会」は市立宮森小学校で慰霊祭を開いた。事故で犠牲となった児童や住民18人の冥福を祈り、ジェット機が墜落した午前10時40分ごろ、黙とうをささげた。慰霊祭には遺族や当時の在校生、地域住民ら100人超が参列した。

 慰霊祭に先立ち、宮森小児童会主催の追悼集会も行われた。児童代表として平和の鐘を鳴らした同小6年の伊芸可怜(かれん)さん(11)は「事故で亡くなった人たちが、少しでも静かに安らかに眠ることができればいいと思う」と手を合わせた。集会中も児童の頭上を米軍機が音をたて飛び去って行った。

 「平和な世が続くよう、二度とこういった事故が起こらないよう毎年祈っている」。自宅にジェット機が激突し、母親を亡くした伊波秀子さん(79)は慰霊祭に家族で参列し、母親のみ霊を慰めた。

 事故の後遺症で息子を亡くした新垣ハルさんは「お参りに来たよ。見守っていてね」と線香を上げた。息子への思いを抑えきれず、涙を流した。

 当時3年だった弟、芳武君を亡くした上間義盛遺族会代表(73)は「生きていたら立派な社会人になっていただろう。私たちはかけがえのない大切な命を亡くした。基地あるが故に起こった事故だった」と思いをはせた。墜落した戦闘機の事故件数の多さや事故後も継続配備されていたことに関して「核を搭載されていたこと自体、事故後に初めて知った。でたらめ過ぎる」と憤りをあらわにした。

 石川・宮森630会の久高政治会長(68)は「戦後最大の墜落事故だった。事故の重大さや悲惨さをしっかりと認識すべきだ」と話した。

英文へ→57th anniversary memorial ceremony for US military jet crash into Miyamori Elementary School