たった三十一文字であっても、短歌には作者の真情が必ず現れる。そして短歌は、よき読み手を得たとき、より輝きを増す詩型でもある。
くろぐろと水満ち水にうち合へる死者満ちてわがとこしへの川
竹山広は25歳の時、広島で被爆した。何度もその体験を詠もうとしたが、あまりにも悲惨な光景を言葉にすることができず、10年ほどたって余命宣告されたのをきっかけに歌を再開した。水に浮かぶ死者がぶつかり合う様子を詠んだ一首は、戦後30年を経て作られた。短歌は「機会詩」とも呼ばれるが、深い悲嘆と苦悩を表現するには、それだけの歳月が必要だったのだ。
血と雨にワイシャツ濡れている無援ひとりへの愛うつくしくする
今も愛唱される一首の作者、岸上大作は1960年12月、都内の下宿先で自ら命を絶った。「恋と革命」に生きた岸上の劇的な人生は有名だが、彼が心を寄せた女性が誰であったかは、ほとんど知られていない。
著者は取材を重ね、それが当時の大学の後輩、沢口芙美であったこと、岸上の死にショックを受けて歌が作れなくなった彼女が、20年後にようやく歌人として再スタートして今に至ることを明らかにしている。
すさまじくひと木の桜ふぶくゆゑ身はひえびえとなりて立ちをり岡野弘彦
あの夏の数かぎりなきそしてまたたつた一つの表情をせよ小野茂樹
戦争体験から「一生、桜を美しいとは思うまい」と誓った岡野が桜の花を詠むまでの葛藤、青春の名歌として愛唱される小野の一首が、かつての同級生と再会した時期に詠まれた事実など、取り上げられた27首それぞれに作者の人生が滲(にじ)む。人は生まれてくる時代を選べないという事実を突きつけてくる歌も多い。
著者は東京新聞の記者であり、短歌結社「心の花」に所属する歌人でもある。一首を巡る多様な27編のドラマは、丹念な取材と丁寧な読み、どちらが欠けても明らかにならなかったはずだ。(松村由利子・歌人)
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かこ・ようじ 1962年愛知県生まれ。東京外国語大卒業後、中日新聞社(東京新聞)入社。現在文化部長。歌詠みでもあり、第54回角川短歌賞次席。
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