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医薬分業に先見の明 すこやかHD 県内1位の薬局網、商機逃さず<Who強者How強者 沖縄企業力を探る>11


医薬分業に先見の明 すこやかHD 県内1位の薬局網、商機逃さず<Who強者How強者 沖縄企業力を探る>11 41店目となる登川北店を紹介する宮里敏行社長=3日、沖縄市
この記事を書いた人 Avatar photo 当間 詩朗

 医師の処方箋に基づき薬を調剤する保険薬局事業で県内ナンバーワンの薬局網を誇るすこやかホールディングス(沖縄市、宮里敏行社長)。当時営業マンの宮里社長が地域の薬局経営を任されたことが始まりだった。譲り受ける形で創業し、今年で40年を迎え、現在では県内に「すこやか薬局」41店を構え、地域医療にとって欠かせない存在となっている。

 多額な負債を抱えた時期もあり、ここまでの歩みは順風満帆ではなかったが、会社発展の背景には、宮里社長が「医薬分業」と地域医療における保険薬局機能の可能性を見いだし、県内で先駆けて事業展開に取り組んできたことにある。

 医薬分業とは、医師が患者に処方箋を発行し、薬剤師がその処方箋に基づいて調剤を行う制度。県薬剤師会によると、現在の県内医薬分業率は8割を超えるが、「創業当初の県内医薬分業率は10%にも満たない状況だった。そんな中、薬剤師資格を持たない私に『薬局をやらないか』と依頼があった」と宮里社長は振り返る。

 医師が利益の大きい薬の販売や大量の薬を処方することで、医療機関が利益を上げている―。1980年代、全国的に医師が診察から処方箋発行、調剤までを行っていたことが批判を浴び、問題化。国も是正に向けた姿勢を取り始めていた。

 そんな時に、医薬品卸売業に務めていた宮里社長は取引先から薬局の引き受けを打診された。営業担当5年目の28歳。医師や地域と人脈が広がり、仕事に手応えを感じ始めていたが、迷った末に地域医療や薬局の仕組みが変わる状況を商機と見て、決断した。

創業当時の「宮里薬局」で笑顔を見せる宮里敏行社長(提供)

 うるま市(当時具志川市)で創業した「宮里薬局」の経営は手探りだったが、営業時代に培った人脈でクリニックから処方箋の依頼をもらい始め、85年には有限会社薬正堂を設立した。地域の医師やクリニックとの関係を生かし、診療所と薬局を抱き合わせて開業するセット戦略を展開した。テナントビルに医療機関がまとまって入居する「ビル診」にも着目した。医療系コンサルティングの勉強も重ね、クリニックの開業支援と合わせて取り組むことで、本島中部を中心に新たな保険薬局を次々と開局させていった。

 事業が軌道に乗り始めた中、失敗も経験した。91年に未経験のIT事業に進出し、負債は7千万円に膨れ上がった。「手形の不渡りを防ぐために取引先を含めた知り合いを一晩中、回ることもあった」。

 苦境も味わう中、奮起した。90年代では先進的だったドライブスルー型の薬局導入、薬剤師の24時間体制で患者に対応する体制などを確立。薬剤師の24時間対応は患者からも好評で、医師や看護師が24時間対応する自治体運営の「♯8000」が普及する2010年年代まで継続した。薬局内には患者に対応する接客専門のフロアコンシェルジュも配置し、患者へのサービス充実を図った。

 日本薬剤師会によると、県内の医薬分業は2000年代から高まりを見せていく。1986年に17・1%だった医薬分業率は2002年に61・1%まで上昇。その後も右肩上がりで上昇し、現在では8割を超える水準となっている。成長分野と見通した医薬分業が県内でも進展していく中、他社にはないサービスで患者のニーズに応え保険薬局事業は拡大していった。

 売上高も薬局網拡大と比例する形で伸ばしていく。2016年に初の100億円超えとなる104億2千万円を達成。その後も順調に推移していき、23年4月期決算で過去最高の138億8千万円となった。

 宮里社長は「医療経営の観点から患者サービスを充実させ、医療機関に還元させる姿勢でやってきた。今後もデジタル化やDXなどを通し、利便性向上などを図り、これからの薬局の在り方も模索していきたい」と語った。

(当間詩朗)