【ブラジル】日系人失踪知って アルゼンチンの独裁政権時代


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ブラジル沖縄県人会本部の上映会で質問に答える大城エルサさん(右)

 ブラジル沖縄県人会本部会館で10月14日、ドキュメンタリー映画「Silencio Roto. 16 Nikkeis(破られた沈黙 16人の日系人)」(パブロ・モヤマ監督)の上映会が開催され、約40人が集まった。アルゼンチンの軍事独裁政権時代(1976~82年)に失踪した人は約3万人に及ぶが、今までのところブエノスアイレスでは1世を含む日系人が17人(うち13人が沖縄系)だったということが判明している。当時妊婦だった女性が殺害されていることは知られていたが、2002年と15年に他2人が殺害されていたことが判明した。

 今回ブラジルで上映するために来伯した大城エルサさん(62)は、失踪者の一人ホルヘさんの姉にあたる。両親のルーツは与那城町(現うるま市)饒辺、父の大城シンスケさんが移民1世で母の高良マリアさんが2世。6人のきょうだいの長姉にあたるエルサさん、4歳年下の弟が18歳の頃に突然連れて行かれてから、約40年もの間、行方を捜し続けている。

 弟の行方を追う中、同じ境遇の日系人とつながり、やがて16人の失踪者の家族会「日系亜人失踪者家族会」として活動するようになる。ただ、各家庭の事情は異なり、日系社会で「恥」との意識が強かったという。

映画館での上映前に千羽鶴を受け取った大城エルサさん(右から2人目)

 1982年、プラザ・デ・マージョの母たちの集会で各自がルーツを持つ大使館に問い合わせたが、政治的介入はできないと断られた。だが、98年に日本政府の協議事項に加えてもらうことができた。

 沖縄県人会で活動を行っていないものの、3人の失踪者がいる中城村人会で活動の展示会を行い、日本人会の支持も受けているという。2K(ニッケイ)という団体の協力を得て、周囲に活動を知られるようになり、2010~15年の間にドキュメンタリーが製作された。重く口を閉ざしていた家族が撮影の際に多くのことを語り、驚いたという。製作を終えた頃に日系人の失踪者がもう一人いることが判明。映画では取り上げられていないものの、上映後配布されたエルサさんの冊子に17人目についても記述されている。

 エルサさんはブラジル沖縄県人会や市内のデパートの映画館で上映後、会場で質問に答えている。失踪者はテロリストなのかと厳しい質問もあったが、「どんな思想を持っていたかは知らないが、家族の一員が突然いなくなった。なぜ連れて行かれ、その後どうなったか何も知らない状態が問題だ」と主張した。

 帰国後は日本人会や学校、公共機関、行方不明になった人たちと関係のあった機関などで上映予定だ。
(城間明秀セルソ通信員)