日米、97年にオスプレイ協議 沖縄配備10年まで隠す


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宜野湾市にある米軍普天間飛行場を離陸する垂直離着陸輸送機MV22オスプレイ=2016年8月撮影

 米軍普天間飛行場の移設計画を巡り、1997年10月に行われた日米両政府の技術検討の会合で、防衛施設庁(当時)が米側に提示した資料で、垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの配備を挙げていたことが分かった。オスプレイの沖縄配備を巡っては、96年12月2日の日米特別行動委員会(SACO)最終報告に明記する方向で直前まで日米間で協議されていたが、日本側の要求で削除した経緯がある。日本政府はその後、2010年までオスプレイの配備計画を公に認めなかったが、実際は97年の段階で配備を前提に米側と移設問題を協議していたことになる。

 資料は97年10月6日に外務省、防衛施設庁、在日米大使館、在日米軍の関係者が出席した会合で提示された。普天間代替施設の仕様を検討する際の「懸念事項」として、オスプレイ配備の他にも「CALA(戦闘航空機装弾場)とFCLP(陸上空母離着陸訓練)デッキ」などを挙げている。

 関係者によると、会合では、オスプレイの運用に対応するためという理由で、滑走路の長さを1500メートルは確保することを日米間で確認した。96年12月2日のSACO最終報告でも滑走路長は「約1500メートル」と記載されたが、その際はオスプレイ配備が理由とは説明されていなかった。

 オスプレイ配備を巡り政府は、辺野古新基地については環境影響評価(アセス)手続きの最終段階に当たる評価書の提出(11年12月)になって初めて配備の事実を盛り込んだ。北部訓練場のヘリパッドは、沖縄防衛局が07年に県に提出したアセス図書で、将来的な機種変更も反映するよう求めた知事意見に対し、「使用機種の変更はないと理解している」と明記し、配備を否定していた。(島袋良太)