『敗北力―Later Works』 認識から行動への起動点


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『敗北力―Later Works』 鶴見俊輔著 編集グループSURE・2376円

 2011年に脳梗塞で倒れてから、15年7月20日に92歳で亡くなるまでのほぼ4年間、鶴見俊輔さんは編集人としてのもう一つの顔を引き寄せて最後の仕事に取りかかった。自ら「後期文集(レイター・ワークス)」と名付け、自選の最後として21の文章を編んだ。それに未発表詩稿5編と自著未収録稿12本を加えて『敗北力』がうまれた。

 70歳から書き始めた「もうろく帖」が17年目に入ったとき、それを読み返してその芯となる言葉・「敗北力」に出会った。鶴見さんは「敗北力」をこう定義する。

 敗北力は、どういう条件を満たすときに自分が敗北するかの認識と、その敗北をどのように受けとめるかの気構えから成る。

 「敗北」の自己認識と「敗北」を受けとめる気構え、その二つが重なり合った地平に、敗北が「力」になるダイナミズムがある、と鶴見さんは呟(つぶや)く。語るというより呟くといった方がいいのは、「敗北力」は、鶴見さんの「悪人としての自覚」の奥にうずくまる未発見の自分との出会いの別称だからである。呟きを通して「敗北力」は、認識が行動へとつながる起動点を示す。定義の中の「気構え」とは、たった一人の抵抗に移っていくその直前の凛とした姿を表してはいないか。

 鶴見さんは何回も何回も太平洋戦争に立ち戻る。どういう経過をへて戦争に関わり、何をしてきたのか、まわりで何が起きていたのか、戦後をどう迎えたのか、知識人と称する人たちが戦後どういう行動を取ったのか、に立ち戻る。それらを照らす鏡として明治以後の日本の歴史を手製の鍬(くわ)で掘り起こす。歴史から外され葬り去られることにあらがう。

 鶴見さんは、「沖縄の心を心として」という言葉を忌み嫌った。その言葉の中に、何ものかに寄りかかり、体よく歴史を無菌化することが潜んでいることをかぎ取ったからである。『敗北力』の中で、「沖縄」は数カ所出てくる。沖縄ほど「敗北力」を深く掘り下げ独自の領域と行動を展開する所はない。私にはそう読めた。(輿石正・名護高等予備校校長)

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 つるみ・しゅんすけ 1922年東京都生まれ、哲学者。「敗北力」は書店では扱わず、郵便局の用紙に住所、名前、電話番号、書名、冊数を記入して、2591円(送料含む)を「00910―1―93863 編集グループSURE」に払い込む。問い合わせは(電話)075(761)2391、編集グループSURE。