【北谷】北谷町伊平の平安山原(はんざんばる)B遺跡で、縄文時代晩期(約2500年前)の東北地方を中心に使われていた大洞系(おおほらけい)土器の破片が見つかった。大洞系土器はこれまで鹿児島以南では種子島や奄美大島、喜界島で見つかっているが、沖縄県内での発見は初めて。北谷町教育委員会が24日、縄文・弥生時代を研究する設楽博巳東京大学教授が「文様と形から大洞系土器の可能性が高い」としたとして発表した。
町教委によると、出土した破片は大洞系土器の大洞A式土器の可能性が高いという。大洞A式土器は、亀ヶ岡式土器のことで沖縄から約2千キロ離れた岩手県大洞貝塚で出土した土器から名付けられた。破片には大洞A式土器の特徴である「工」の字を組み合わせた迷路のような文様の工字文が見られたほか、へこみ部分にわずかに朱色が塗られた跡が確認された。
平安山原B遺跡は2009年10月14日から翌年2月19日にかけて、桑江伊平土地区画整理事業に伴い調査が行われた。土器片はグスク時代(約500~800年前)、農耕に向いた土を作ろうと周辺の砂を意図的に混ぜて造られた層から出土した。
平安山原B遺跡の南に位置する伊礼原(いれいばる)遺跡からは、縄文晩期の新潟県糸魚川産のヒスイが見つかるなど、物の交流が広範囲にわたっていたことが分かっている。今回見つかった大洞系土器の破片は、島伝いにもたらされたのか直接的な交流があったかは不明だが、東北の文化圏と南島の人たちの間に縄文晩期から弥生前半にかけて、幅広い交流があったことを示唆している。町教委は「東北の土器がなぜここにあるのか、何が人を動かしたのか検証したい」と話し、ルーツの解明に力を入れるとした。